アロイス・ミッテルフーバー

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アロイス・ミッターフーバー (Alois Mitterhuber, 1932年10月16日 - )はオーストリア振付師

ゲストリング・アン・デア・イップスの出身。

1947年から1949年までマルガレーテンの商業学校に通い、当初は繊維業界に就職していた。

1954年から1958年までアイスダンサーとして経験を積み、1955年から1958年までディア・ルカのウィーン・バレエ学校で学び、ウィーン・フォルクスオーパーの振付師となった。また、ルチア・ブラウアー、ノラ・キスとウィリー・フランツルの下で研鑽を積み、パリでボリス・トレイリヌ、ミュンヘンでズゼ・プライザー、グスタフ・ブランク、ミシェル・ド・ラトリーの各氏に師事し、ニューヨークでノーマン・トムソンにジャズ・ダンスを学んだ。

1958年から1964年までウィーン・フォルクスオーパー・バレエのメンバーであり、1964年から1967年まで同バレエのリードダンサーを務め、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場のソリストも務めた。

1963年からクライネ・ウィーン・バレエの共同創設者となり、ストラヴィンスキーの三楽章の交響曲によるバレエの振付を行った。

1967年から1974年までアン・デア・ウィーン劇場のバレエの監督に就任し、フランシス・バートの《ゴーレム》やペーター・ロンネフェルトの《ペーター・シュレミール》等、多くの振付を行った。この間、テレビ用のバレエもいくつか手がけた。

自身のバレエ学校の運営やフリーランスのアーティストとしての仕事に加えて、ウィーン市立音楽院のダンス科の教授を務めた 。

2010年に自伝《ダンス-私の人生アーティストの人生の思い出》を出版[1]

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  • ウィーン国家黄金勲章 (2009) [2]

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  1. ^ ISBN 978-3-9900320-8-4. – DNB, abgerufen am 29. November 2010.
  2. ^ Mailath überreicht Goldene Auszeichnungen. (Mit Bild). In: wien.gv.at, 25. März 2009, abgerufen am 29. November 2010.

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