アダム・フォン・ヴュルテンベルク

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アダム・フォン・ヴュルテンベルク
Adam von Württemberg

称号 ヴュルテンベルク公
出生 (1792-01-16) 1792年1月16日
ポーランド・リトアニア共和国プワヴィ
死去 (1847-07-27) 1847年7月27日(55歳没)
ナッサウ公国ランゲンシュヴァルバッハ
家名 ヴュルテンベルク家
父親 ヴュルテンベルク公ルートヴィヒ
母親 マリア・アンナ・チャルトリスカ
役職 ロシア陸軍中将
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アダム・カール・ヴィルヘルム・フォン・ヴュルテンベルク(Adam Karl Wilhelm von Württemberg, 1792年1月16日 - 1847年7月27日)は、ヴュルテンベルクの王族、ロシア帝国の将軍。ヴュルテンベルクフリードリヒ1世の甥。

生涯[編集]

ヴュルテンベルク公ルートヴィヒと、その最初の妻マリア・アンナ・チャルトリスカ公女の間の一人息子として、プワヴィで生まれた。誕生の翌年に両親が離婚したため父方に引き取られ、父の妹であるロシア皇后マリヤ・フョードロヴナに養育された。アダムはマリヤ皇后の息子である後の皇帝ニコライ1世の遊び相手となり、早くにロシア軍に入隊、後にロシア領ポーランド会議王国軍に移って将軍にまで昇進している。

1830年にワルシャワ11月蜂起が発生すると、ポーランド総督を務める従兄のコンスタンチン・パヴロヴィチ大公に随行して直ちにワルシャワを脱出した。アダムはツィプリアン・クロイツ将軍の率いるロシア鎮圧軍の騎兵旅団に所属してポーランドの蜂起軍と戦ったが、同旅団はオルシンカ・グロホフスカの戦いの直前の1831年2月19日にユゼフ・ドゥベルニツキ将軍率いるポーランド軍に敗北している。アダムはその後、ニコライ1世の下で陸軍中将、高級副官にまで昇進したが、晩年には退官して余生をドイツで送った。