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「西ヨーロッパ狩猟採集民」の版間の差分

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[[考古遺伝学]]では、'''西ヨーロッパ狩猟採集民'''('''WHG''')'''({{c.|15,000~5,000 BP}})という用語は、現代ヨーロッパ人の明確な祖先構成要素を指し、イギリス諸島から西ヨーロッパ、南ヨーロッパ、中央ヨーロッパに散らばっていた[[中石器時代]]の集団からの子孫を表す。これは、[[最終氷期極大期]]の[[氷床]]の後退に伴い、西はイギリス諸島から東は[[カルパティア山脈]]まで、西ヨーロッパ、南ヨーロッパ、中央ヨーロッパに散らばった狩猟採集民の集団の子孫を表す{{sfn|Anthony|2019b|p=28}}。
[[考古遺伝学]]では、'''西ヨーロッパ狩猟採集民'''('''Western Hunter Gatherer:WHG''')'''({{c.|15,000~5,000 BP}})という用語は、現代ヨーロッパ人の明確な祖先構成要素を指し、イギリス諸島から西ヨーロッパ、南ヨーロッパ、中央ヨーロッパに散らばっていた[[中石器時代]]の集団からの子孫を表す。これは、[[最終氷期極大期]]の[[氷床]]の後退に伴い、西はイギリス諸島から東は[[カルパティア山脈]]まで、西ヨーロッパ、南ヨーロッパ、中央ヨーロッパに散らばった狩猟採集民の集団の子孫を表す{{sfn|Anthony|2019b|p=28}}。


西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)は{{日本語版にない記事リンク|スカンジナビア狩猟採集民|en|Scandinavian Hunter-Gatherer}}(SHG)と[[東ヨーロッパ狩猟採集民]](EHG)とともに、初期[[完新世]]ヨーロッパの後氷期における3つの主要な遺伝的集団の1つを構成していた。{{sfn|Kashuba|2019|ps=:「それ以前の常染色体DNA研究によって、初期後氷期のヨーロッパには3つの遺伝的グループが存在することが示唆されている:西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)、東ヨーロッパ狩猟採集民(EHG)、スカンジナビア狩猟採集民(SHG)である4。
西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)は{{日本語版にない記事リンク|スカンジナビア狩猟採集民|en|Scandinavian Hunter-Gatherer}}(SHG)と[[東ヨーロッパ狩猟採集民]](EHG)とともに、初期[[完新世]]ヨーロッパの後氷期における3つの主要な遺伝的集団の1つを構成していた。{{sfn|Kashuba|2019|ps=:「それ以前の常染色体DNA研究によって、初期後氷期のヨーロッパには3つの遺伝的グループが存在することが示唆されている:西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)、東ヨーロッパ狩猟採集民(EHG)、スカンジナビア狩猟採集民(SHG)である4。
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スカンジナビア狩猟採集民(SHG)は西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)と[[東ヨーロッパ狩猟採集民]](EHG)が等しく混在していた。かつてはヨーロッパ全土の主要な人口であった西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)は、初期の[[新石器時代]]には初期ヨーロッパ農耕民(EEF)の連続的な拡大によってその大部分を奪われたが、中期新石器時代には再び増加した。新石器時代後期から[[青銅器時代]]初期にかけて、[[ポントス・カスピ海草原]]からやってきた[[西部ステップ牧畜民]](WSH)が大規模な拡大に乗り出し、西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)をさらに追いやった。現代の集団の中では、西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)の祖先は東[[バルト海]]の集団に最も多い<ref>{{Cite journal |last1=Davy |first1=Tom |last2=Ju |first2=Dan |last3=Mathieson |first3=Iain |last4=Skoglund |first4=Pontus |date=April 2023 |title=Hunter-gatherer admixture facilitated natural selection in Neolithic European farmers |url=https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.02.049 |journal=Current Biology |volume=33 |issue=7 |pages=1365–1371.e3 |doi=10.1016/j.cub.2023.02.049 |issn=0960-9822 |pmc=10153476 |pmid=36963383}}</ref>。
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== 研究 ==
西ヨーロッパ狩猟採集民(Western Hunter-Gatherers:WHG)は、ほとんどの現代[[ヨーロッパ人]]の祖先に寄与する明確な祖先構成要素として認識されている。
{{sfn|Lazaridis|2014}}
ほとんどのヨーロッパ人は西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)、初期ヨーロッパ農耕民EEF、[[ポントス・カスピ海草原]]出身の西部ステップ牧畜民(WSH)の混合体としてモデル化することができる{{sfn|Mathieson|2015}}。WHGは初期ヨーロッパ農耕民(EEF)のような他の古代グループにも祖先をもたらしたが、そのほとんどはアナトリア系であった{{sfn|Lazaridis|2014}}。
ヨーロッパにおける新石器時代の拡大とともに、ヨーロッパのほとんどの地域で初期ヨーロッパ農耕民(EEF)が遺伝子プールを支配するようになったが、西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)の祖先は初期[[新石器時代]]から中期新石器時代にかけて西ヨーロッパで復活した{{sfn|Haak|2015}}。

=== ヨーロッパ大陸への拡大(14,000BP) ===
WHGそのものは、[[最終氷期極大期]]後の最初の大規模な温暖期である{{仮リンク|ボーリング・アレロド亜間氷期|en|Bølling-Allerød interstadial}}のおよそ1万4千年前に形成されたと考えられている。氷河期末期にヨーロッパで大きな人口移動があり、おそらく南東ヨーロッパや西アジアの[[最終氷期極大期]]の{{仮リンク|避難地|en|Refugium (population biology)}}からヨーロッパ大陸に人口が拡大したのであろう<ref>{{cite journal |last1=Fu |first1=Qiaomei |title=The genetic history of Ice Age Europe |journal=Nature |date=2016 |volume=534 |issue=7606 |pages=200–205 |doi=10.1038/nature17993 |pmid=27135931 |pmc=4943878 |bibcode=2016Natur.534..200F |quote=「少なくとも〜14,000年前のVillabruna群に始まり、分析されたすべてのヨーロッパの個体は、近東との親近性を示している。これは、氷河期後の最初の顕著な温暖化期であるBølling-Allerød 亜間氷期に相関している。考古学的には、南ヨーロッパではEpigravettianの文化的変遷、西ヨーロッパではMagdalenianからAzilianへの変遷と相関している。したがって、Villabruna群像の出現は、氷河期末期のヨーロッパ内の移動または人口移動を反映している可能性があり、この観察結果は、この時期にミトコンドリアDNA配列が入れ替わった証拠とも一致する。これらのパターンを説明する一つのシナリオは、氷河期後にヨーロッパ南東部または西アジアの避難所から集団が拡大し、ヨーロッパと近東の遺伝的祖先が一緒になったというものである。第6に、Villabruna群内では、全員ではないが、東アジア人と親和性のある個体もいる。今後の研究の重要な方向性は、ユーラシア西部の後期旧石器時代の人口史のより完全な全体像に到達するために、ヨーロッパ南東部と近東から同様の古代DNAデータを作成することである。}}</ref>。彼らの祖先は40,000BP頃に東ユーラシア人から分離し、[[古代北ユーラシア人]](ANE)からは24,000BP(マリタ遺跡出土の少年の人骨の推定年代)以前に分離したと考えられている。この年代は、{{仮リンク|ヤナRHS遺跡|en|Yana Rhinoceros Horn Site}}の発見によって、西ユーラシア系と東ユーラシア系が分岐した直後の3万8千ya頃まで遡ることになった{{sfn|Lazaridis|2014}}<ref>{{Cite journal |last1=Sikora |first1=Martin |last2=Pitulko |first2=Vladimir V. |last3=Sousa |first3=Vitor C. |last4=Allentoft |first4=Morten E. |last5=Vinner |first5=Lasse |last6=Rasmussen |first6=Simon |last7=Margaryan |first7=Ashot |last8=de Barros Damgaard |first8=Peter |last9=de la Fuente |first9=Constanza |last10=Renaud |first10=Gabriel |last11=Yang |first11=Melinda A. |last12=Fu |first12=Qiaomei |last13=Dupanloup |first13=Isabelle |last14=Giampoudakis |first14=Konstantinos |last15=Nogués-Bravo |first15=David |date=June 2019 |title=The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene |url=https://www.nature.com/articles/s41586-019-1279-z |journal=Nature |language=en |volume=570 |issue=7760 |pages=182–188 |doi=10.1038/s41586-019-1279-z |pmid=31168093 |bibcode=2019Natur.570..182S |s2cid=174809069 |issn=1476-4687}}</ref>。ヴァリーニら(2022)は、西ユーラシアの系統の分散と分裂のパターンは38,000年前よりも早くないとしており、{{仮リンク|ズラティ・クン|en|Koněprusy Caves}}や{{仮リンク|en|バチョ・キロ洞窟|Bacho Kiro}}のような古い後期旧石器時代のヨーロッパの標本は、西ヨーロッパ狩猟採集民とは無関係であるとしている<ref>{{Cite web |last=Vallini et al. 2022 |date=2022-07-04 |title=Genetics and Material Culture Support Repeated Expansions into Paleolithic Eurasia from a Population Hub Out of Africa |url=https://academic.oup.com/gbe/article/14/4/evac045/6563828 |access-date=2023-04-16 }}</ref>。西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)は父系のハプログループ[[ハプログループC (Y染色体)|C]](特にクレード[[ハプログループC1a2 (Y染色体)|C-V20/C1a2]])と[[ハプログループI (Y染色体)|I]]を保有していた。父方のハプログループC-V20は現代の[[スペイン]]に住んでいる男性にも見出すことができ、この系統が西ヨーロッパに長く存在していたことを証明している。WHGは母方のハプログループ[[ハプログループU (mtDNA)|U5]]も持っていた<ref name="Nature-2023"/><ref>{{Cite journal |last=Scozzari |first=Rosaria |last2=Massaia |first2=Andrea |last3=D’Atanasio |first3=Eugenia |last4=Myres |first4=Natalie M. |last5=Perego |first5=Ugo A. |last6=Trombetta |first6=Beniamino |last7=Cruciani |first7=Fulvio |date=2012-11-07 |title=Molecular Dissection of the Basal Clades in the Human Y Chromosome Phylogenetic Tree |url=https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3492319/ |journal=PLoS ONE |volume=7 |issue=11 |pages=e49170 |doi=10.1371/journal.pone.0049170 |issn=1932-6203 |pmc=3492319 |pmid=23145109 |quote=この分析により、我々は南ヨーロッパで発見された染色体をハプログループC(C-V20またはC7、図S1)の中の新しい深い枝として同定した。これまでは、南ヨーロッパではC染色体(マーカーRPS4Y711によってのみ定義される)は数例しか見つかっていなかった[32]、[33]。ヨーロッパにおけるハプログループCの分布に関する我々の知識を向上させるために、1965人のヨーロッパ人を対象にRPS4Y711変異について調査したところ、南ヨーロッパからさらに1本のハプログループC染色体が同定され、この染色体もC7に分類された(データは示されていない)。}}</ref>。
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== 脚注 ==
== 脚注 ==

2023年11月20日 (月) 03:04時点における版

西ヨーロッパ狩猟採集民
1万4千aから9千aのヨーロッパにおける狩猟採集民の遺伝的祖先、 西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)の主要地域を青で示す。個々の番号は校正されたサンプルの日付に対応する[1]

考古遺伝学では、西ヨーロッパ狩猟採集民Western Hunter Gatherer:WHG(c. 15,000~5,000 BP)という用語は、現代ヨーロッパ人の明確な祖先構成要素を指し、イギリス諸島から西ヨーロッパ、南ヨーロッパ、中央ヨーロッパに散らばっていた中石器時代の集団からの子孫を表す。これは、最終氷期極大期氷床の後退に伴い、西はイギリス諸島から東はカルパティア山脈まで、西ヨーロッパ、南ヨーロッパ、中央ヨーロッパに散らばった狩猟採集民の集団の子孫を表す[2]

西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)はスカンジナビア狩猟採集民英語: Scandinavian Hunter-Gatherer(SHG)と東ヨーロッパ狩猟採集民(EHG)とともに、初期完新世ヨーロッパの後氷期における3つの主要な遺伝的集団の1つを構成していた。[3]。西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)と東ヨーロッパ狩猟採集民(EHG)の境界はドナウ川の下流から、ドニエプル川の西の森に沿って北上し、西のバルト海に向かっていた[2]

スカンジナビア狩猟採集民(SHG)は西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)と東ヨーロッパ狩猟採集民(EHG)が等しく混在していた。かつてはヨーロッパ全土の主要な人口であった西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)は、初期の新石器時代には初期ヨーロッパ農耕民(EEF)の連続的な拡大によってその大部分を奪われたが、中期新石器時代には再び増加した。新石器時代後期から青銅器時代初期にかけて、ポントス・カスピ海草原からやってきた西部ステップ牧畜民(WSH)が大規模な拡大に乗り出し、西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)をさらに追いやった。現代の集団の中では、西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)の祖先は東バルト海の集団に最も多い[4]

研究

西ヨーロッパ狩猟採集民(Western Hunter-Gatherers:WHG)は、ほとんどの現代ヨーロッパ人の祖先に寄与する明確な祖先構成要素として認識されている。 [5] ほとんどのヨーロッパ人は西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)、初期ヨーロッパ農耕民EEF、ポントス・カスピ海草原出身の西部ステップ牧畜民(WSH)の混合体としてモデル化することができる[6]。WHGは初期ヨーロッパ農耕民(EEF)のような他の古代グループにも祖先をもたらしたが、そのほとんどはアナトリア系であった[5]。 ヨーロッパにおける新石器時代の拡大とともに、ヨーロッパのほとんどの地域で初期ヨーロッパ農耕民(EEF)が遺伝子プールを支配するようになったが、西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)の祖先は初期新石器時代から中期新石器時代にかけて西ヨーロッパで復活した[7]

ヨーロッパ大陸への拡大(14,000BP)

WHGそのものは、最終氷期極大期後の最初の大規模な温暖期であるボーリング・アレロド亜間氷期英語版のおよそ1万4千年前に形成されたと考えられている。氷河期末期にヨーロッパで大きな人口移動があり、おそらく南東ヨーロッパや西アジアの最終氷期極大期避難地英語版からヨーロッパ大陸に人口が拡大したのであろう[8]。彼らの祖先は40,000BP頃に東ユーラシア人から分離し、古代北ユーラシア人(ANE)からは24,000BP(マリタ遺跡出土の少年の人骨の推定年代)以前に分離したと考えられている。この年代は、ヤナRHS遺跡英語版の発見によって、西ユーラシア系と東ユーラシア系が分岐した直後の3万8千ya頃まで遡ることになった[5][9]。ヴァリーニら(2022)は、西ユーラシアの系統の分散と分裂のパターンは38,000年前よりも早くないとしており、ズラティ・クン英語版enのような古い後期旧石器時代のヨーロッパの標本は、西ヨーロッパ狩猟採集民とは無関係であるとしている[10]。西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)は父系のハプログループC(特にクレードC-V20/C1a2)とIを保有していた。父方のハプログループC-V20は現代のスペインに住んでいる男性にも見出すことができ、この系統が西ヨーロッパに長く存在していたことを証明している。WHGは母方のハプログループU5も持っていた[11][12]

最終氷期極大期避難地 c. 20,000 years ago

脚注

注釈

出典

  1. ^ Posth, Cosimo; Yu, He; Ghalichi, Ayshin (March 2023). “Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers” (英語). Nature 615 (7950): 117–126. Bibcode2023Natur.615..117P. doi:10.1038/s41586-023-05726-0. ISSN 1476-4687. PMC 9977688. PMID 36859578. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC9977688/. 
  2. ^ a b Anthony 2019b, p. 28.
  3. ^ Kashuba 2019:「それ以前の常染色体DNA研究によって、初期後氷期のヨーロッパには3つの遺伝的グループが存在することが示唆されている:西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)、東ヨーロッパ狩猟採集民(EHG)、スカンジナビア狩猟採集民(SHG)である4。 スカンジナビア狩猟採集民(SHG)は西ヨーロッパ狩猟採集民(WHG)と東ヨーロッパ狩猟採集民(EHG)の混合種としてモデル化されている。
  4. ^ Davy, Tom; Ju, Dan; Mathieson, Iain; Skoglund, Pontus (April 2023). “Hunter-gatherer admixture facilitated natural selection in Neolithic European farmers”. Current Biology 33 (7): 1365–1371.e3. doi:10.1016/j.cub.2023.02.049. ISSN 0960-9822. PMC 10153476. PMID 36963383. https://doi.org/10.1016/j.cub.2023.02.049. 
  5. ^ a b c Lazaridis 2014.
  6. ^ Mathieson 2015.
  7. ^ Haak 2015.
  8. ^ Fu, Qiaomei (2016). “The genetic history of Ice Age Europe”. Nature 534 (7606): 200–205. Bibcode2016Natur.534..200F. doi:10.1038/nature17993. PMC 4943878. PMID 27135931. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4943878/. "「少なくとも〜14,000年前のVillabruna群に始まり、分析されたすべてのヨーロッパの個体は、近東との親近性を示している。これは、氷河期後の最初の顕著な温暖化期であるBølling-Allerød 亜間氷期に相関している。考古学的には、南ヨーロッパではEpigravettianの文化的変遷、西ヨーロッパではMagdalenianからAzilianへの変遷と相関している。したがって、Villabruna群像の出現は、氷河期末期のヨーロッパ内の移動または人口移動を反映している可能性があり、この観察結果は、この時期にミトコンドリアDNA配列が入れ替わった証拠とも一致する。これらのパターンを説明する一つのシナリオは、氷河期後にヨーロッパ南東部または西アジアの避難所から集団が拡大し、ヨーロッパと近東の遺伝的祖先が一緒になったというものである。第6に、Villabruna群内では、全員ではないが、東アジア人と親和性のある個体もいる。今後の研究の重要な方向性は、ユーラシア西部の後期旧石器時代の人口史のより完全な全体像に到達するために、ヨーロッパ南東部と近東から同様の古代DNAデータを作成することである。" 
  9. ^ Sikora, Martin; Pitulko, Vladimir V.; Sousa, Vitor C.; Allentoft, Morten E.; Vinner, Lasse; Rasmussen, Simon; Margaryan, Ashot; de Barros Damgaard, Peter et al. (June 2019). “The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene” (英語). Nature 570 (7760): 182–188. Bibcode2019Natur.570..182S. doi:10.1038/s41586-019-1279-z. ISSN 1476-4687. PMID 31168093. https://www.nature.com/articles/s41586-019-1279-z. 
  10. ^ Vallini et al. 2022 (2022年7月4日). “Genetics and Material Culture Support Repeated Expansions into Paleolithic Eurasia from a Population Hub Out of Africa”. 2023年4月16日閲覧。
  11. ^ a b 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「Nature-2023」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  12. ^ Scozzari, Rosaria; Massaia, Andrea; D’Atanasio, Eugenia; Myres, Natalie M.; Perego, Ugo A.; Trombetta, Beniamino; Cruciani, Fulvio (2012-11-07). “Molecular Dissection of the Basal Clades in the Human Y Chromosome Phylogenetic Tree”. PLoS ONE 7 (11): e49170. doi:10.1371/journal.pone.0049170. ISSN 1932-6203. PMC 3492319. PMID 23145109. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3492319/. "この分析により、我々は南ヨーロッパで発見された染色体をハプログループC(C-V20またはC7、図S1)の中の新しい深い枝として同定した。これまでは、南ヨーロッパではC染色体(マーカーRPS4Y711によってのみ定義される)は数例しか見つかっていなかった[32]、[33]。ヨーロッパにおけるハプログループCの分布に関する我々の知識を向上させるために、1965人のヨーロッパ人を対象にRPS4Y711変異について調査したところ、南ヨーロッパからさらに1本のハプログループC染色体が同定され、この染色体もC7に分類された(データは示されていない)。" 

参照

参考