「大陸倭語」の版間の差分

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これらの言語を研究した最初の研究者らは、これらの地名は高句麗の領土に当たるため、それらはその州の言語を表していたに違いないと仮定した。 {{Sfnp|Whitman|2011}}またイ・ギムンとサミュエル・ラムゼイらは加えて、地名の音と意味を表すための漢字の二重使用は、朝鮮半島南部の諸国よりも早く漢字を借用していたであろう高句麗の書記によって行われたであろうという仮説を提唱した。 {{Sfnp|Lee|Ramsey|2011}}彼らは、高句麗語が日本語、韓国語、ツングース諸語の間に繋がりを形成したと主張している。 {{Sfnp|Lee|Ramsey|2011}}
これらの言語を研究した最初の研究者らは、これらの地名は高句麗の領土に当たるため、それらはその州の言語を表していたに違いないと仮定した。 {{Sfnp|Whitman|2011}}またイ・ギムンと[[S・R・ラムゼイ|サミュエル・ラムゼイ]]らは加えて、地名の音と意味を表すための漢字の二重使用は、朝鮮半島南部の諸国よりも早く漢字を借用していたであろう高句麗の書記によって行われたであろうという仮説を提唱した。 {{Sfnp|Lee|Ramsey|2011}}彼らは、高句麗語が日本語、韓国語、ツングース諸語の間に繋がりを形成したと主張している。 {{Sfnp|Lee|Ramsey|2011}}


クリストファー・I・ベックウィズは自身の研究において、これらのほとんどすべての単語が日本語の同族語であると提唱した。 {{Sfnp|Beckwith|2004}}彼はこれを高句麗語と見なし、日本語-扶余語と呼びうる日本語を含む系統の語族であると提唱した。 {{Sfnp|Beckwith|2004}}それによればこの語族は紀元前4世紀に遼寧省西部に存在し、1つのグループ([[弥生時代|弥生文化で]]識別される)が海で朝鮮半島南部と九州に移動し、他のグループが満州東部と朝鮮半島北部に移動し、他のグループが[[琉球諸島]]へ移動したとしている。 {{Sfnp|Beckwith|2004}}''これに対し''トーマス・ペラードは、ベックウィズによる中古中国語の再構成におけるこじつけや、日本語の文章の解釈、および日本語の他の同族語との関係性における可能性を切り捨てていることに対して、ベックウィズの言語分析を批判している。 {{Sfnp|Pellard|2005}}歴史家のマーク・バイイントンによる別の批評では、ベックウィズの移住理論の基礎となっている参照した歴史文書の解釈に疑問を投げかけている。 {{Sfnp|Byington|2006}}
{{仮リンク|クリストファー・I・ベックウィズ|en|Christopher I. Beckwith}}は自身の研究において、これらのほとんどすべての単語が日本語の同族語であると提唱した。 {{Sfnp|Beckwith|2004}}彼はこれを高句麗語と見なし、日本語-扶余語と呼びうる日本語を含む系統の語族であると提唱した。 {{Sfnp|Beckwith|2004}}それによればこの語族は紀元前4世紀に遼寧省西部に存在し、1つのグループ([[弥生時代|弥生文化で]]識別される)が海で朝鮮半島南部と九州に移動し、他のグループが満州東部と朝鮮半島北部に移動し、他のグループが[[琉球諸島]]へ移動したとしている。 {{Sfnp|Beckwith|2004}}''これに対し''トーマス・ペラードは、ベックウィズによる中古中国語の再構成におけるこじつけや、日本語の文章の解釈、および日本語の他の同族語との関係性における可能性を切り捨てていることに対して、ベックウィズの言語分析を批判している。 {{Sfnp|Pellard|2005}}歴史家のマーク・バイイントンによる別の批評では、ベックウィズの移住理論の基礎となっている参照した歴史文書の解釈に疑問を投げかけている。 {{Sfnp|Byington|2006}}


別の研究者らは、上記の研究によって提唱された日本語の同族語と考えられる地名は、[[大同江|大同江の]]北にある高句麗の歴史的な故郷に位置しておらず、好太王[[好太王碑|碑]]などの地域の碑文には日本語の形態素が確認されていないと指摘している。 {{Sfnp|Lee|Ramsey|2011}} {{Sfnp|Vovin|2013}}''三国史記''の記述にある地名は、一般的に朝鮮半島中部、百済や他の国家から高句麗が5世紀に占領した地域に由来し、地名は高句麗の言語ではなく、それらの地域の言語に由来すると提唱している。 {{Sfnp|Lee|Ramsey|2011}} {{Sfnp|Toh|2005}}この説はこの地域の言語が複数の言語グループ反映していると考えられる理由として説明される。 {{Sfnp|Whitman|2013}}河野六郎と[[金芳漢]]は、百済は日本語族とのバイリンガリズムであったと提唱し、地名は庶民の言語を反映しているとしている。 {{Sfnp|Beckwith|2004}}
別の研究者らは、上記の研究によって提唱された日本語の同族語と考えられる地名は、[[大同江|大同江の]]北にある高句麗の歴史的な故郷に位置しておらず、好太王[[好太王碑|碑]]などの地域の碑文には日本語の形態素が確認されていないと指摘している。 {{Sfnp|Lee|Ramsey|2011}} {{Sfnp|Vovin|2013}}''三国史記''の記述にある地名は、一般的に朝鮮半島中部、百済や他の国家から高句麗が5世紀に占領した地域に由来し、地名は高句麗の言語ではなく、それらの地域の言語に由来すると提唱している。 {{Sfnp|Lee|Ramsey|2011}} {{Sfnp|Toh|2005}}この説はこの地域の言語が複数の言語グループ反映していると考えられる理由として説明される。 {{Sfnp|Whitman|2013}}河野六郎と[[金芳漢]]は、百済は日本語族とのバイリンガリズムであったと提唱し、地名は庶民の言語を反映しているとしている。 {{Sfnp|Beckwith|2004}}
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ボヴィンは[[済州島]]のことをかつて示した耽羅''(Tanmura'' または''Tammura)'' 、𨈭牟羅が日本語で「谷の集落」を意味するtani mura または「人々の集落」を意味するtami mura が語源ではないかと提唱した。 {{Sfnp|Vovin|2010}} {{Sfnp|Vovin|2013}}
ボヴィンは[[済州島]]のことをかつて示した耽羅''(Tanmura'' または''Tammura)'' 、𨈭牟羅が日本語で「谷の集落」を意味するtani mura または「人々の集落」を意味するtami mura が語源ではないかと提唱した。 {{Sfnp|Vovin|2010}} {{Sfnp|Vovin|2013}}


済州島南西部にあるガムサン( kamsan /「柿山」)という村は、神山「神聖なる山」という古い名前がある。地名の最初の文字の「神」は韓国語で''gam'' / ''kam'' と読むことはできないが、ボヴィンは最初の音節は元々上代日本語の''kami <sub>2</sub>'' '神'と同族の単語であったと提唱した。 {{Sfnp|Vovin|2010}}{{Notelist}}{{Reflist|24em}}
済州島南西部にあるガムサン( kamsan /「柿山」)という村は、神山「神聖なる山」という古い名前がある。地名の最初の文字の「神」は韓国語で''gam'' / ''kam'' と読むことはできないが、ボヴィンは最初の音節は元々上代日本語の''kami <sub>2</sub>'' '神'と同族の単語であったと提唱した。

== 参考文献 ==
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* {{citation
| title = Koguryo, the Language of Japan's Continental Relatives
| surname = Beckwith | given = Christopher
| author-link = Christopher I. Beckwith
| publisher = BRILL | year = 2004 | isbn = 978-90-04-13949-7
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}}
* {{citation
| title = Christopher I. Beckwith, ''Koguryo – the Language of Japan's Continental Relatives'' (Leiden: Brill, 2004)
| surname = Byington | given = Mark E.
| journal = Acta Koreana | volume = 9 | issue = 1 | pages = 141–166
| year = 2006
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}}
* {{citation
| surname = Itabashi | given = Yoshizo
| chapter = Kōkuri no chimei kara Kōkurigo to Chōsengo/Nihongo to no shiteki kankei wo saguru
| script-chapter = ja:高句麗の地名から高句麗語と朝鮮語・日本語との史的関係をさぐる
| trans-chapter = A study of the historical relationship of the Koguryo language, the Old Japanese language, and the Middle Korean language on the basis of fragmentary glosses preserved as place names in the ''Samguk sagi''
| title = Nihongo keitoron no genzai
| script-title = ja:日本語系統論の現在
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| editor2-surname = Osada | editor2-given = Toshiki
| location = Kyoto | publisher = International Center for Japanese Studies
| year = 2003
| pages = 131–185
| doi = 10.15055/00005276 | doi-access = free
| language = ja
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}}
* {{citation
| title = A History of the Korean Language
| surname1 = Lee | given1 = Ki-Moon | surname2 = Ramsey | given2 = S. Robert
| publisher = Cambridge University Press | year = 2011 | isbn = 978-1-139-49448-9
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* {{citation
| title = Japanese and Korean: The Problems and History of a Linguistic Comparison
| surname = Lewin | given = Bruno
| journal = The Journal of Japanese Studies | volume = 2 | number = 2
| year = 1976 | pages = 389–412
| jstor = 132059
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* {{citation
| title = ''Koguryo, the Language of Japan's Continental Relatives: An Introduction to the Historical-Comparative Study of the Japanese-Koguryoic Languages with a Preliminary Description of Archaic Northeastern Middle Chinese'' By Christopher I. Beckwith
| surname = Pellard | given = Thomas
| journal = Korean Studies | year = 2005 | volume = 29 | pages = 167–170
| doi = 10.1353/ks.2006.0008 | doi-access = free
| url = https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-00194111
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* {{citation
| title = About Early Paekche language mistaken as being Koguryŏ language
| surname = Toh | given = Soo Hee
| journal = Journal of Inner and East Asian Studies | year = 2005
| volume = 2 | number = 2 | pages = 13–31
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* {{citation
| surname = Vovin | given = Alexander | author-link = Alexander Vovin
| title = Korea-Japonica: A Re-Evaluation of a Common Genetic Origin
| publisher = University of Hawaii Press | year = 2010
| isbn = 978-0-8248-3278-0 | jstor = j.ctt6wqz03
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* {{citation
| surname = Vovin | given = Alexander | author-mask = 3
| title = From Koguryo to Tamna: Slowly riding to the South with speakers of Proto-Korean
| journal = Korean Linguistics | year = 2013 | volume = 15 | issue = 2 | pages = 222–240
| doi = 10.1075/kl.15.2.03vov
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* {{citation
| surname = Vovin | given = Alexander | author-mask = 3
| chapter = Origins of the Japanese Language
| doi = 10.1093/acrefore/9780199384655.013.277 | doi-access = free
| title = Oxford Research Encyclopedia of Linguistics
| publisher = Oxford University Press | year = 2017
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* {{citation
| surname = Whitman | given = John
| title = Northeast Asian Linguistic Ecology and the Advent of Rice Agriculture in Korea and Japan
| journal = Rice | date = 2011 | volume = 4 | issue = 3-4 | pages = 149–158
| doi = 10.1007/s12284-011-9080-0 | doi-access = free
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}}
* {{citation
| surname = Whitman | given = John | author-mask = 3
| title = ''A History of the Korean Language'', by Ki-Moon Lee and Robert Ramsey
| journal = Korean Linguistics | date = 2013 | volume = 15 | issue = 2 | pages = 246–260
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=== 脚註 ===
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[[Category:日本語族]]
[[Category:日本語族]]

2021年1月9日 (土) 01:42時点における版

半島日本語
Para-Japonic
話される地域朝鮮半島中央部及び南部
消滅時期1千年紀
言語系統日本語
  • 半島日本語
Glottolog(未評価)
4世紀後期の朝鮮半島

半島日本語は現在、多くの言語学者が以前は朝鮮半島の中央部と南部で話されていたと想定している絶滅した日本語の一種。古代の文献に記載されている地名(主に三国史記(1145年に編纂))が論拠となっている。 [1]

三国史記における地名の記述

三国史記は668年に終わりを迎えた三国時代についての歴史書であり、中古中国語で記されている。三国史記の第三十七巻は主に新羅に征服された高句麗などの地名とその意味について記載されている。 [1]これらの記述は、1907年に内藤湖南によって最初に研究され、1960年代のイ・キムンによる一連の論文から実質的な分析が始まった。 [2] [3]

たとえば「買忽一云水城」という文は現在水原として知られている都市について記載している: [1]

買忽一云水城
'水城を買忽と云う。

つまり、買忽という文字は名前の音を記録するために使用され、水城という文字はその意味を表すということになる。 [1]このことから、買と忽はそれぞれ「水」と「都市」の地元の単語の発音を表していると推測される。 [1]このようにして、これらの地名から80〜100語の語彙が抽出された。 [4] [1]買や忽のような文字は、おそらく中古中国語のいくつかの方言に基づいた発音を表しているとされるが、これらがどのように発音されていたかについては研究者の間で一致していない。近い音を示す1つの方法としては、切韻などの辞書に記録されている中古中国語の読みの発音を使用することである。ここでは、買はと発音される。もう1つの方法は、中期朝鮮語の15世紀の辞書の漢字の読みを使用して、それでの漢字の発音であるmayの発音を充てることである。場合によっては、同じ単語が類似した発音の複数の文字で表される [1]

これらの名前から抽出された単語のいくつかは、韓国語またはツングース語に類似している。 [1]証明された数字の4つすべてを含む他のものは、日本語に似ており、現在は絶滅した日本語の系統がかつて朝鮮半島で話されていた証拠として多くの研究者に支持されている。 [5]

日本語の同族語の可能性がある抽出された単語
本来語 意味 上代日本語
文字 中古音[注釈 1] 漢字語[注釈 2]
mit mil mi 1 [1] [6]
今次 hju-tshij H wucha itu [1] [6]
難隱 nan-ʔɨnX nanun nana[1] [6]
tok tek to2wo〜 [1] [6]
tanH tan tani[1] [6]
twon twon
then thon
烏斯含 ʔu-sje-hom wosaham ウサギ usagi1 [1] [6]
na-mjut namwul namari[6] [1]
mɛX may mi 1 (du) <* me [1] [6] [7]
mij X may
mjie X mi

これらの言語を研究した最初の研究者らは、これらの地名は高句麗の領土に当たるため、それらはその州の言語を表していたに違いないと仮定した。 [5]またイ・ギムンとサミュエル・ラムゼイらは加えて、地名の音と意味を表すための漢字の二重使用は、朝鮮半島南部の諸国よりも早く漢字を借用していたであろう高句麗の書記によって行われたであろうという仮説を提唱した。 [1]彼らは、高句麗語が日本語、韓国語、ツングース諸語の間に繋がりを形成したと主張している。 [1]

クリストファー・I・ベックウィズは自身の研究において、これらのほとんどすべての単語が日本語の同族語であると提唱した。 [3]彼はこれを高句麗語と見なし、日本語-扶余語と呼びうる日本語を含む系統の語族であると提唱した。 [3]それによればこの語族は紀元前4世紀に遼寧省西部に存在し、1つのグループ(弥生文化で識別される)が海で朝鮮半島南部と九州に移動し、他のグループが満州東部と朝鮮半島北部に移動し、他のグループが琉球諸島へ移動したとしている。 [3]これに対しトーマス・ペラードは、ベックウィズによる中古中国語の再構成におけるこじつけや、日本語の文章の解釈、および日本語の他の同族語との関係性における可能性を切り捨てていることに対して、ベックウィズの言語分析を批判している。 [8]歴史家のマーク・バイイントンによる別の批評では、ベックウィズの移住理論の基礎となっている参照した歴史文書の解釈に疑問を投げかけている。 [9]

別の研究者らは、上記の研究によって提唱された日本語の同族語と考えられる地名は、大同江の北にある高句麗の歴史的な故郷に位置しておらず、好太王などの地域の碑文には日本語の形態素が確認されていないと指摘している。 [1] [10]三国史記の記述にある地名は、一般的に朝鮮半島中部、百済や他の国家から高句麗が5世紀に占領した地域に由来し、地名は高句麗の言語ではなく、それらの地域の言語に由来すると提唱している。 [1] [2]この説はこの地域の言語が複数の言語グループ反映していると考えられる理由として説明される。 [11]河野六郎と金芳漢は、百済は日本語族とのバイリンガリズムであったと提唱し、地名は庶民の言語を反映しているとしている。 [3]

その他の論拠

伽耶諸国の唯一の記録された言語が日本語であるという説がある。 [1]アレキサンダー・ボヴィンは、古代中国と韓国の文書に登場する韓国南部のいくつかの単語と地名は日本語を語源とすると提唱した。 [7]

百済

複数の研究者は、三国史記に記載されている地名は百済語の初期の言語を反映していると提唱している。さらに、梁書(635)の第五十四巻に記載されている4つの百済語の単語の内、2つは日本語と比較される。 [10]

  • 固麻( kuHmæ)ー治城(統治拠点)ー 古語で「中に入れる」を意味するko2mと比較される。
  • 檐魯(yemlu)ー邑(集落)ー 日本語で同じ意味である「mura」と比較される。

新羅

新羅とその前身の辰韓のいくつかの単語は、中国の歴史家によって魏志の第三十巻と梁書の第五十四巻に記録されている。これらの単語の多くは韓国語のように見えるが、いくつかは日本語の形式と一致する。たとえば居住地を指すmura(牟羅)と日本語の「村」など。 [10]

三国史記の第三十四巻では、新羅の旧地名と、8世紀に景徳王の下で漢字二文字で統一されて割り当てられた漢字語の名前が記載されている。改称前の地名の多くは韓国語で由来を示すことはできないが、日本語の単語によって説明することができる。たとえば日本語の「道」に由来していると考えられるmiti彌知)などがある。 [10]

伽耶

伽耶諸国は、6世紀初頭に新羅に侵略されるまで、日本との貿易関係を維持してた。 [1]三国史記の第四十四巻で記載されている1つの単語が日本語と比較される。

加羅語謂門為梁云。
加羅語では門のことを「梁」と言う。

梁(twol)という発音が上代日本語で門を意味するto2と比較される。 [1] [3]

耽羅

ボヴィンは済州島のことをかつて示した耽羅(Tanmura またはTammura) 、𨈭牟羅が日本語で「谷の集落」を意味するtani mura または「人々の集落」を意味するtami mura が語源ではないかと提唱した。 [12] [10]

済州島南西部にあるガムサン( kamsan /「柿山」)という村は、神山「神聖なる山」という古い名前がある。地名の最初の文字の「神」は韓国語でgam / kam と読むことはできないが、ボヴィンは最初の音節は元々上代日本語のkami 2 '神'と同族の単語であったと提唱した。

参考文献

  • Beckwith, Christopher (2004), Koguryo, the Language of Japan's Continental Relatives, BRILL, ISBN 978-90-04-13949-7. 
  • Byington, Mark E. (2006), “Christopher I. Beckwith, Koguryo – the Language of Japan's Continental Relatives (Leiden: Brill, 2004)”, Acta Koreana 9 (1): 141–166. 
  • ItabashiYoshizo 著「Kōkuri no chimei kara Kōkurigo to Chōsengo/Nihongo to no shiteki kankei wo saguru [A study of the historical relationship of the Koguryo language, the Old Japanese language, and the Middle Korean language on the basis of fragmentary glosses preserved as place names in the Samguk sagi]」、VovinAlexander; OsadaToshiki 編『Nihongo keitoron no genzai [Perspectives on the Origins of the Japanese Language]』International Center for Japanese Studies、Kyoto、2003年、131–185頁。doi:10.15055/00005276 
  • Lee, Ki-Moon; Ramsey, S. Robert (2011), A History of the Korean Language, Cambridge University Press, ISBN 978-1-139-49448-9. 
  • Lewin, Bruno (1976), “Japanese and Korean: The Problems and History of a Linguistic Comparison”, The Journal of Japanese Studies 2 (2): 389–412, JSTOR 132059, https://jstor.org/stable/132059. 
  • Pellard, Thomas (2005), Koguryo, the Language of Japan's Continental Relatives: An Introduction to the Historical-Comparative Study of the Japanese-Koguryoic Languages with a Preliminary Description of Archaic Northeastern Middle Chinese By Christopher I. Beckwith”, Korean Studies 29: 167–170, doi:10.1353/ks.2006.0008, https://hal.archives-ouvertes.fr/hal-00194111. 
  • Toh, Soo Hee (2005), “About Early Paekche language mistaken as being Koguryŏ language”, Journal of Inner and East Asian Studies 2 (2): 13–31. 
  • Vovin, Alexander (2010), Korea-Japonica: A Re-Evaluation of a Common Genetic Origin, University of Hawaii Press, ISBN 978-0-8248-3278-0, JSTOR j.ctt6wqz03, https://jstor.org/stable/j.ctt6wqz03. 
  •     (2013), “From Koguryo to Tamna: Slowly riding to the South with speakers of Proto-Korean”, Korean Linguistics 15 (2): 222–240, doi:10.1075/kl.15.2.03vov. 
  •     (2017), “Origins of the Japanese Language”, Oxford Research Encyclopedia of Linguistics, Oxford University Press, doi:10.1093/acrefore/9780199384655.013.277. 
  • Whitman, John (2011), “Northeast Asian Linguistic Ecology and the Advent of Rice Agriculture in Korea and Japan”, Rice 4 (3-4): 149–158, doi:10.1007/s12284-011-9080-0. 
  •     (2013), “A History of the Korean Language, by Ki-Moon Lee and Robert Ramsey”, Korean Linguistics 15 (2): 246–260, doi:10.1075/kl.15.2.05whi. 

脚註

[1]

  1. ^ Middle Chinese forms are given using Baxter's transcription for Middle Chinese. The letters H and X denote Middle Chinese tone categories.
  2. ^ Korean forms are cited using the Yale romanization of Korean.