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「安政地震」の版間の差分

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'''安政地震'''(あんせいじしん)は、[[安政]]年間の地震。
'''安政地震'''(あんせいじしん)は、[[安政]]年間の地震。


安政に[[改元]]されたのは1855年1月15日([[嘉永]]7年11月27日)であるため、伊賀上野地震、東海地震および南海地震が発生したのは嘉永7年のことであるが<ref>湯村哲男(1969): 本邦における被害地震の日本暦について, 地震, 第2輯, '''22''', pp.253-255, {{JOI|JST.Journalarchive/zisin1948/22.253}}</ref>、歴史年表上では安政元年であるため、安政を冠して呼ばれる<ref>神田茂(1970): 本邦における被害地震の日本暦の改元について, 地震, 第2輯, '''23''', pp.335-336,{{JOI|JST.Journalarchive/zisin1948/23.335}}</ref>。
安政に[[改元]]されたのは1855年1月15日([[嘉永]]7年11月27日)であるため、伊賀上野地震、東海地震および南海地震が発生したのは嘉永7年のことであるが<ref>湯村哲男(1969): 「[https://doi.org/10.4294/zisin1948.22.3_253 本邦における被害地震の日本暦について]」 地震 第2輯 1969年 22巻 3号 p.253-255, {{doi|10.4294/zisin1948.22.3_253}}</ref>、歴史年表上では安政元年であるため、安政を冠して呼ばれる<ref>神田茂(1970): 「[https://doi.org/10.4294/zisin1948.23.4_335 本邦における被害地震の日本暦の改元について]」 地震 第2輯 1970年 23巻 4号 p.335-336,{{DOI|10.4294/zisin1948.23.4_335}}</ref>。


'''[[安政の大地震]]'''あるいは'''安政大地震'''とも呼ばれる。
'''[[安政の大地震]]'''あるいは'''安政大地震'''とも呼ばれる。
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== 安政地震の一覧 ==
== 安政地震の一覧 ==
以下の地震が安政地震と呼ばれている。
以下の地震が安政地震と呼ばれている。
* [[伊賀上野地震]] - 1854年7月9日(元年6月15日)発生の[[木津川断層]]([[三重県]][[上野市]])が震源と推定される地震。
* [[伊賀上野地震]] - 1854年7月9日(元年6月15日)発生の[[木津川断層]](三重県[[上野市]])が震源と推定される地震。
* [[安政東海地震]] - 1854年12月23日(元年11月4日)発生の東海地震<ref name="Sawamura"/><ref name="Usami">宇佐美竜夫『世界大百科事典 2』[[平凡社]]、2009年</ref>。
* [[安政東海地震]] - 1854年12月23日(元年11月4日)発生の東海地震<ref name="Sawamura"/><ref name="Usami">宇佐美竜夫『世界大百科事典 2』[[平凡社]]、2009年</ref>。
* [[安政南海地震]] - 1854年12月24日(元年11月5日)発生の南海地震。なお、安政東海地震の約32時間後に発生している<ref name="Usami" /><ref name="Sawamura" />。
* [[安政南海地震]] - 1854年12月24日(元年11月5日)発生の南海地震。なお、安政東海地震の約32時間後に発生している<ref name="Usami" /><ref name="Sawamura" />。
* [[安政江戸地震]] - 1855年11月11日(2年10月2日)発生の江戸直下型地震<ref name="Usami" />。
* [[安政江戸地震]] - 1855年11月11日(2年10月2日)発生の江戸直下型地震<ref name="Usami" />。
* [[安政八戸沖地震]] - 1856年8月23日(3年7月23日)発生の三陸沖北部の地震<ref name="Hatori1973">[[羽鳥徳太郎]](1973): 安政3年(1856年8月23日)八戸沖津波の規模と波源域の推定, 地震, 第2輯, '''26''', 204-205. {{JOI|JST.Journalarchive/zisin1948/26.204}}</ref>。
* [[安政八戸沖地震]] - 1856年8月23日(3年7月23日)発生の三陸沖北部の地震<ref name="Hatori1973">[[羽鳥徳太郎]](1973): 「[https://doi.org/10.4294/zisin1948.26.2_204 安政3年(1856年8月23日)八戸沖津波の規模と波源域の推定]」 地震 第2輯 1973年 26 2号 p.204-205, {{DOI|10.4294/zisin1948.26.2_204}}</ref>。
* [[飛越地震]] - 1858年4月9日(5年2月26日)発生の飛騨・越後の地震<ref>和田博夫, 三雲健, 小泉誠(1979): 飛騨地方北部特に跡津川断層付近の地震活動と発震機構, 地震 第2輯, '''32''', 281-296, {{JOI|JST.Journalarchive/zisin1948/32.281}}</ref>。
* [[飛越地震]] - 1858年4月9日(5年2月26日)発生の飛騨・越後の地震<ref>和田博夫, 三雲健, 小泉誠(1979): 「[https://doi.org/10.4294/zisin1948.32.3_281 飛騨地方北部特に跡津川断層付近の地震活動と発震機構]」 地震 第2輯 1979年 32 3号 p.281-296, {{DOI|10.4294/zisin1948.32.3_281}}</ref>。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2019年2月6日 (水) 07:35時点における版

安政地震(あんせいじしん)は、安政年間の地震。

安政に改元されたのは1855年1月15日(嘉永7年11月27日)であるため、伊賀上野地震、東海地震および南海地震が発生したのは嘉永7年のことであるが[1]、歴史年表上では安政元年であるため、安政を冠して呼ばれる[2]

安政の大地震あるいは安政大地震とも呼ばれる。

南海トラフ震源域と推定される宝永地震昭和地震東南海南海地震)に対比して安政東海地震と安政南海地震を総称して「安政地震」と呼ぶ場合もある[3]

安政地震の一覧

以下の地震が安政地震と呼ばれている。

参考文献

  1. ^ 湯村哲男(1969): 「本邦における被害地震の日本暦について」 地震 第2輯 1969年 22巻 3号 p.253-255, doi:10.4294/zisin1948.22.3_253
  2. ^ 神田茂(1970): 「本邦における被害地震の日本暦の改元について」 地震 第2輯 1970年 23巻 4号 p.335-336,doi:10.4294/zisin1948.23.4_335
  3. ^ a b c 五つの大地震 高木金之助編、沢村武雄「五つの大地震」『四国山脈』毎日新聞社、1959年
  4. ^ a b c 宇佐美竜夫『世界大百科事典 2』平凡社、2009年
  5. ^ 羽鳥徳太郎(1973): 「安政3年(1856年8月23日)八戸沖津波の規模と波源域の推定」 地震 第2輯 1973年 26巻 2号 p.204-205, doi:10.4294/zisin1948.26.2_204
  6. ^ 和田博夫, 三雲健, 小泉誠(1979): 「飛騨地方北部特に跡津川断層付近の地震活動と発震機構」 地震 第2輯 1979年 32巻 3号 p.281-296, doi:10.4294/zisin1948.32.3_281