阪神受験研究会
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有限会社阪神受験研究会(はんしんじゅけんけんきゅうかい)は、かつて存在した日本の企業近畿圏において、大手学習塾「阪神受験研究会」を経営していた[1]。
概要
[編集]1973年(昭和48年)に設立[1]。大阪府大阪市東成区の玉造駅前に本部があった[1]。主に小学生・中学生を対象とした進学塾を経営し[2]、大阪府・兵庫県・奈良県・和歌山県の1府3県に教室があった[1]。有名私立中学校などへの高い進学実績があり[2][3]、最盛期には22校で約5,000人の生徒を抱えた[2]。
しかし、バブル時代に多角経営を始めたことなどを発端に[2]、経営方針をめぐって内部対立が発生した[1][2]。1999年(平成11年)夏に大半の専任講師が独立して別の進学塾を設立したところ[2]、多くの生徒が移籍したことにより、経営難に陥った[1][2]。
2000年(平成12年)1月20日に、突然閉校[1]。受験シーズンの最中であったため、保護者や生徒らに混乱が広がった[3]。講師らは、他の学習塾に生徒の受け入れを打診するなどの対応に追われた[1]。
翌日の1月21日に大阪地方裁判所に対し自己破産を申し立て[2]、2月8日に破産宣告を受けた[4]。負債総額は約13億円に上った[4]。