遺山先生文集

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遺山先生文集』(いざんせんせいぶんしゅう)は、13世紀に成立した金代元好問による文集。題名は元好問が遺山と号したことに拠る。

概要[編集]

元好問は金代末期の興定5年(1221年)に進士となったが、金朝の滅亡後はモンゴル帝国に仕えることを拒み、在野で金朝の記録の編纂に務めたことで知られる人物であった[1]。元好問は金朝滅亡後に耶律楚材の一族など末期の金朝に仕えた人物の碑文・墓銘の多くを依頼されて撰述しており、これらの文章は後の『金史』編纂において大いに活用された[1]。特に、金朝がモンゴル軍に追い詰められた正大年間中の記録や、この頃モンゴルとの戦いで活躍した完顔陳和尚にまつわる『金史』の記述は、ほとんどが元好問の残した記録が元になっており、『遺山先生文集』以上の記録は見られないと評されている[2]

元好問の文集は本来張徳輝が編纂して中統3年(1262年)に刊行した詩文集40巻と、曹益甫が編纂して至元7年(1270年)に刊行された詩集20巻の2種類があったが、後に李瀚が弘治11年(1498年)に2種の文集をまとめたものが『四部叢刊初編』に収録され現在も用いられている[1]。『遺山先生文集』の現在伝わる内容としては詩賦14巻・表/制/碑/銘/記/序など26巻の40巻本で、明代の儲瓘が『金史』文芸伝・墓銘・祭文を初め著者に関連する詩文を集めたものが附録として末尾につけられている[1]

元好問の詩は史実を題材にしたものであっても敢えて固有名詞を挙げず婉曲に表現されることが多く、何を題材とした文であるか判断に困るものが多いため[3]清代の施国祁の道光2年(1822年)の著作である『元遣山詩集箋』は詩作の背景を知る上で有益であると評されている[1]

内容[編集]

巻目 巻題 節目
巻1
巻2 五言古詩
巻3 七言古詩
巻4 七言古詩
巻5 襍言
巻6 古楽府
巻7 五言律詩
巻8 七言律詩
巻9 七言律詩
巻10 七言律詩
巻11 五言絶句
巻12 七言絶句
巻13 七言絶句
巻14 七言絶句
巻15 宏詞
巻16 碑銘表誌碣 平章政事寿国張文貞公神道碑、王黄華墓碑、沁州刺史李君神道碑
巻17 碑銘表誌碣 閑閑公墓銘、朝散大夫同知東平府事胡公神道碑、寄庵先生墓碑、朝列大夫同知河間府事張公墓表
巻18 碑銘表誌碣 内相文献楊公神道碑銘、嘉議大夫陝西東路転運使剛敏王公神道碑銘、通奉大夫礼部尚書趙公神道碑
巻19 碑銘表誌碣 内翰王公墓表、内翰馮公神道碑銘、国子祭酒権刑部尚書内翰馮君神道碑銘
巻20 碑銘表誌碣 順安県令趙公墓碑、資善大夫吏部尚書張公神道碑銘、通奉大夫鈞州刺史行尚書省参議張君神道碑銘、資善大夫集慶軍節度使蒲察公神道碑銘〈并引〉、資善大夫武寧軍節度使瓜爾佳公神道碑銘
巻21 碑銘表誌碣 御史張君墓表、御史程君墓表、平叔墓銘、希顔墓銘、大司農丞康君墓表、聶元吉墓誌銘
巻22 碑銘表誌碣 太中大夫劉公墓碑、中順大夫鎮南軍節度副使張君墓碑、陽曲令周君墓表、奉直趙君墓碣銘、史邦直墓表、御史孫公墓表
巻23 碑銘表誌碣 故河南路課税所長官兼廉訪使楊公神道之碑、劉景玄墓銘、文儒武君墓銘、郝先生墓銘、曹徴君墓表
巻24 碑銘表誌碣 真定府学教授常君墓銘、善人白公墓表、南峰先生墓表、臨海弋公阡表、蘧然子墓碣銘、蘇彦遠墓銘、盧太医墓誌銘、張遵古墓碣銘、張君墓誌銘
巻25 碑銘表誌碣 族祖処士墓銘、承奉河南元公墓銘、敏之兄墓銘、賛皇郡太君墓銘、南陽県太君墓誌銘、聶孝女墓銘、孝女阿秀墓銘
巻26 碑銘表誌碣 東平行臺厳公神道碑、東平行臺厳公祠堂碑銘〈有序〉、順天萬戸張公勲徳第二碑、龍虎衛上将軍耶律公墓誌銘
巻27 碑銘表誌碣 龍虎衛上将軍珠赫公神道碑、恒州刺史馬君神道碑、贈鎮南軍節度使良佐碑、輔国上将軍京兆府推官康公神道碑銘
巻28 碑銘表誌碣 大丞相劉氏先塋神道碑、帰徳府総管范陽張公先徳碑、臨淄県令完顔公神道碑、費県令郭明府墓碑、広威将軍郭君墓表、潞州録事毛君墓表
巻29 碑銘表誌碣 顕武将軍呉君阡表、忠武任君墓碣銘、信武曹君阡表、千戸喬公神道碑銘、千戸趙侯神道碑銘故帥閻侯墓表
巻30 碑銘 濮州刺史畢侯神道碑銘宣武将軍孫君墓碑、龍山趙氏新塋之碑、冠氏趙侯先塋碑、西寧州同知張公之碑、兗州同知五翼総領王公墓銘五翼都総領豪士信公之碑
巻31 墓銘碑表 清涼相禅師墓銘、華厳寂大士墓銘、墳雲墓銘、孫伯英墓銘、紫虚大師于公墓碑、天慶王尊師墓表、冲虚大師李君墓銘、通真子墓碣銘、圓明李先生墓表、通玄大師李君墓碑、蔵雲先生袁君墓表、告山贇禅師塔銘
巻32 令旨重修真定廟学記、東平府新学記、博州重修学記、趙州学記、寿陽県学記、代冠氏学生修廟学壁記、葉県中嶽廟記、扁鵲廟記、長慶泉新廟記、三皇堂記、崔府君廟記
巻33 鄧州新倉記、南陽県令題名記、吏部掾属題名記、警巡院廨署記、創開滹水渠堰記、市隠斎記、恵遠廟新建外門記、順天府営建記、邢州新石橋記、臨錦堂記、馬侯孝思堂記、致楽堂記、李参軍友山亭記
巻34 王無競題名記、東平賈氏千秋録後記、校笠澤藂書後記、晝記二:朱繇三官、張萱四景宮女、済南行記、東遊略記、両山行記、毛氏宗支石記、尚薬呉辨夫寿冢記、樊侯寿冢記
巻35 威徳院功徳記、竹林禅院記、少林薬局記、寿聖禅寺功徳記、興復禅院功徳記、龍門川大清安禅寺碑、忻州天慶観重建功徳記、太古観記、紫微観記、朝元観記、清真観記、通仙観記
巻36 序引 陸氏通鑑詳節序、杜詩学引、東坡詩雅引、東坡楽府集選引、錦機引、集諸家通鑑節要序、十七史蒙求序、拙軒銘引、如庵詩文叙、琴辨引、双渓集序、鳩水集引、楊叔能小亨集引、新軒楽府引、逃空絲竹集引
巻37 序引 張仲経詩集序、陶然集詩序、木庵詩集序、南冠録引、興定庚辰太原貢士南京状元楼宴集題名引、送秦中諸人引、送李輔之之官済南序、送高雄飛序、寒食霊泉宴集序、太原昭禅師語録引、暠和尚頌序、傷寒会要引、元氏集験方序、周氏衛生方序
巻38 銘・賛・頌 銘(孔道輔撃虵笏銘、良佐鏡銘、黙庵銘為劉司正光甫作、布衾銘、無絃琴銘、最楽堂銘、超然堂銘、太古堂銘、皇極道院銘、長真庵銘、天硯銘、小紫玉池硯銘)、賛(手植檜聖像賛、老人星賛、范文正公真賛、趙閑閑真賛二首、范錬師真賛、写真自賛〈嵩山中作〉、張幾道錬師真賛)、頌(登封令薛侯去思頌)
巻39 書・疏・雑体 書(癸巳歳寄中書耶律公書、与枢判白兄書、答中書令成仲書、答聡上人書、答大用萬戸書二)、疏(忻州修学疏代郝侯作、清真道院営建疏、請太一宮提点李大師住天封疏、興国院改律為禅請住持疏二首、曹子帰葬疏)、雑体(麻杜張諸人詩評、射説、酒裏五言説、靖徳昭児子高戸字説、曹南商氏千秋録、故物譜)
巻40 上梁文・青詞・祭文 梁文(南宮廟学大成殿上梁文、南陽廨署上梁文、外家別業上梁文)、青詞(太夫人五七青詞、劉宣撫設醮青詞、張喜千戸青詞、樊守謝土詞、郡守天池祈雨状)、祭文(祭飛蝗文、為第四女配婿祭家廟文、中令耶律公祭先妣国夫人文)、題跋(跋国朝名公書、題樗軒九歌遺音大字後、跋閑閑自書楽善堂詩、跋二張相帖、跋蘇黄帖、跋松庵馮丈書、跋蘇叔党帖。跋東坡和淵明飲酒詩後、題蘇氏父子墨帖、題許汾陽詩後、毛氏家訓後跋語、跋張仲可東阿郷賢記、跋紫微劉尊師山水、題学易先生劉斯立詩帖後、跋龍嵓書柳子厚独覚一詩、題閑閑書赤壁賦後)、遺山集後引
附録 附録

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 植松1989,4頁
  2. ^ 高橋2021,360-361頁
  3. ^ 例えば、『元好問とその時代』を著した高橋文治は「……〈典故〉を重層的に敷きつめて言外の文脈を構築することが中国文学の伝統だったからこそ、元好間もまた、そうした作法を用いたに過ぎないが、ただし、元好間ほど徹底的に、しかも伝統の埒外にある事象にまでその作法を当てはめた例は、中国文学の伝統にあっても、あまり多くないと云えるだろう。……元好間の詩歌は、〈蒙古〉や〈韃靼〉はおろか、〈女真〉や〈契丹〉の語さえ出てこない。すべては過去の戦役のように描かれて、ひとつひとつの字句が指示する実態を把握すのに我々は四苦八苦するのである」と評している(高橋2021,132頁)。

参考文献[編集]

  • 植松正「遺山先生文集」『中国史籍解題辞典』燎原書店、1989年
  • 高橋文治『元好問とその時代』大阪大学出版会、2021年