西山昌次

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西山昌次
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文6年(1537年
死没 慶長18年3月19日1613年5月8日
別名 八兵衛
戒名 宗正
主君 武田信玄勝頼徳川家康
父母 西山昌永
中島日向の娘
昌寛昌勝寛次寛宗昌春
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西山 昌次(にしやま まさつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。

生涯[編集]

甲斐巨摩郡西山の武士武田信玄に仕え、その嫡男義信付きとなる。永禄4年(1561年)第四次川中島の戦いでは鉄砲隊を率いて戦い武功があったが、重傷を負って以後は歩行に難があった。天正10年(1582年武田氏滅亡後は徳川家康に仕えて鉄砲隊を預けられる。天正12年(1584年小牧・長久手の戦いで長男昌寛が戦死。天正18年(1590年武蔵高麗郡に120余石を与えられ、八王子城番となった。

出典[編集]