蕭皇后 (遼天祚帝)
表示
蕭皇后 | |
---|---|
遼の皇后 | |
在位 | 1101年 - 1122年 |
死去 |
保大2年(1122年) |
配偶者 | 天祚帝 |
兄弟 | 蕭奉先、蕭嗣先 |
蕭皇后(しょうこうごう、生没年不詳)は、遼の天祚帝(耶律延禧)の皇后。小字は奪里懶。
経歴
[編集]宰相の蕭継先の玄孫娘にあたる。太安3年(1087年)、皇太孫の耶律延禧のもとにとついだ。太安4年(1088年)、燕国王妃に封じられた。乾統(1101年 - 1110年)初年、皇后に立てられた。兄弟の蕭奉先や蕭嗣先らは外戚として重用された。
妹の蕭元妃(小字は貴哥)も姉同様にとついで、梁王耶律雅里・秦王耶律定・許王耶律寧らをもうけた。
保大2年(1122年)、遼が金の攻撃を受けると、天祚帝や蕭奉先・蕭嗣先兄弟とともに西の山西雲中の陰山に逃亡し、まもなく病没した。翌保大3年(1123年)、天祚帝の寵愛を失った蕭奉先・蕭嗣先兄弟は、その子の蕭昂・蕭昱(天祚帝の女婿)とともに誅殺された。
伝記資料
[編集]- 『遼史』巻71 列伝第1