田村駿仁
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田村駿仁 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1933年4月2日(91歳) |
所属団体 | JRA |
初免許年 | 1965年 |
通算勝利 | 5,785戦501勝[1] |
重賞勝利 | 5勝[1] |
経歴 |
田村 駿仁(たむら しゅんじ、1933年4月2日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手・元調教師である。
実父は大井競馬場に所属していた調教師の田村仁三郎。兄の田村勝男も大井競馬場の元調教師。JRA調教師の田村康仁は実子(長男)という競馬一家である。
経歴
[編集]1948年11月、大久保房松厩舎に騎手候補として所属。1951年に騎手として正式に所属した。その後1963年に騎手を引退し、1965年より調教師に転じる。 最初の所属は中山競馬場・白井分場(現・JRA競馬学校)、後に美浦トレーニングセンターの完成に伴い移籍し、自らの厩舎を持つ[要出典]。
初出走は1965年3月20日、中山第9競走にキヨトミで初出走し2着。同年5月23日、東京第6競走でキヨトミが勝利し、調教師として初勝利を挙げた[要出典]。
1966年11月6日の東京タイムズ杯牝馬特別で、キヨトミが重賞初制覇を飾る[要出典]。
その後、1974年のサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別ではキャッシュボアが、1986年のセントライト記念と1988年のアルゼンチン共和国杯ではレジェンドテイオーが、1994年の中山大障害・秋ではローズムーンがそれぞれ勝利した[要出典]。
2002年、定年に伴い引退した[要出典]。
調教師成績
[編集]- 以下の内容は、日本中央競馬会(JRA)[1]に基づく。
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初出走 | 1965年3月20日 | 2回中山3日目9R | キヨトミ | 14頭 | 2着 | ||
初勝利 | 1965年5月23日 | 4回東京2日目6R | キヨトミ | 17頭 | 1着 | ||
重賞初勝利 | 1966年11月6日 | 3回中山2日目11R | 東京タイムズ杯牝馬特別 | キヨトミ | 10頭 | 1 | 1着 |
主な管理馬
[編集]重賞競走優勝馬
[編集]- キヨトミ(1966年東京タイムズ杯牝馬特別)
- キャッシュボア(1974年サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別)
- レジェンドテイオー(1986年セントライト記念、1988年アルゼンチン共和国杯)
- ローズムーン(1994年中山大障害・秋)
出典
[編集]- ^ a b c “引退調教師情報 田村 駿仁 (タムラ シュンジ)”. 日本中央競馬会. 2022年1月12日閲覧。