田向重継

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田向 重継
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 弘治2年(1556年)3月
改名 田向重継→姉小路高綱
別名 古川高綱
官位 正五位下右近衛少将
氏族 姉小路家飛騨古川氏)→田向家→姉小路家
父母 父:姉小路済継、養父:田向重治
姉小路宣政?
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田向 重継(たむけ しげつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公家武将

略歴[編集]

目立った功績もなく、詳細は不明であるが、江戸時代の系図纂要によると飛騨国司家・姉小路済継の次男として生まれ、庭田家庶流の権中納言田向重治の養子となったとされる[1]

永正9年(1512年)、従五位下叙爵大永元年(1521年侍従、翌大永2年(1522年)従五位上を経て、大永6年(1526年正五位下右近衛少将に至る。

大永7年(1527年)10月、姉小路家(古川氏)当主で兄の姉小路済俊が没すると、その弟である事を理由に姉小路家を継承して再興し、姉小路高綱に改名したとも言われるが、「田向重継」という人物が家督を継承したものの、それが姉小路高綱かどうかは不明で、高綱という人物が姉小路の次期当主になったという記録もない[1]

弘治2年(1556年)3月、台頭した国衆の三木良頼によって三木氏と姉小路氏は同化した。

済継の次男で済俊の弟である姉小路高綱については、詳細な記録もなく不明な点が多いが、重継が高綱本人だとすれば、高綱は1576年に没したのではないかとされている。

官歴[編集]

系図纂要』による。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『系図纂要』