ミハイル1世 (キエフと全ルーシの府主教)

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ミハイル1世Михаил II , ? - ?)はキエフと全ルーシの府主教(在位:1130年-1146年)。ビザンツ出身。比較的後代に作成された年代記や文書では、10世紀にミハイルという名の府主教がいたとされるが、これは立証されておらず、ここでは12世紀のミハイルを1世とした。

経歴[編集]

コンスタンティノープルで叙聖された後、1130年夏にキエフに到着した。

1134年から1135年にかけて、諸公間紛争に巻き込まれ、投獄された。

1145年にはコンスタンティノープルにおり、それ以降、ルーシへの帰国を拒絶した。1146年8月のキエフ大公イジャスラフ2世の即位の時にはキエフにいなかった。このことがルーシ独自の新府主教の選出にいたる原因になった。


先代
ニキータ
キエフと全ルーシの府主教
1130年 - 1146年
次代
クリメント(クリム)