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'''恵淑帝姫'''(けいしゅくていき、[[1105年]]4月21日 - 12月6日)は、[[北宋]]の[[徽宗]]の第7皇女。 |
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[[崇寧]]4年閏2月28日(1105年4月21日、穀雨)に生まれ、100日で恵慶公主の位を授けられたが、10月21日(同年12月6日)に夭折した。 |
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鄧国公主の位を追贈され、奉先資福禅院に葬られた。[[大観 (宋)|大観]]元年([[1107年]])、祖父[[神宗 (宋)|神宗]]の永裕陵に従葬された。[[政和]]4年([[1114年]])12月、'''恵淑帝姫'''の位を再追贈された。 |
鄧国公主の位を追贈され、奉先資福禅院に葬られた。[[大観 (宋)|大観]]元年([[1107年]])、祖父[[神宗 (宋)|神宗]]の永裕陵に従葬された。[[政和]]4年([[1114年]])12月、'''恵淑帝姫'''の位を再追贈された。 |
2021年11月3日 (水) 09:18時点における版
恵淑帝姫(けいしゅくていき、1105年4月21日 - 12月6日)は、北宋の徽宗の第7皇女。
経歴
修容嬪王氏(後に懿粛貴妃となった)の長女として生まれた。趙植の同母妹、康淑帝姫・趙嬛嬛(柔福帝姫)・趙金児(賢福帝姫)・趙機の同母姉である。
崇寧4年閏2月28日(1105年4月21日、穀雨)に生まれ、100日で恵慶公主の位を授けられたが、10月21日(同年12月6日)に夭折した。
鄧国公主の位を追贈され、奉先資福禅院に葬られた。大観元年(1107年)、祖父神宗の永裕陵に従葬された。政和4年(1114年)12月、恵淑帝姫の位を再追贈された。
伝記資料
- 『宋史』
- 『故贈鄧国公主追封記』
- 『皇第七女特封恵慶公主制』