「グナエウス・コルネリウス・レントゥルス (紀元前97年の執政官)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m リンク修正 using AWB
20行目: 20行目:


==経歴==
==経歴==
レントゥルスの名前はカピトリヌスのファスティに記録され、また[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]も言及しているが<ref name = R1>プリニウス『博物誌』、XXX, 14.</ref>それ以外の資料はない。同僚執政官は[[プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前97年の執政官)|プブリウス・リキニウス・クラッスス]]であった。この年に、元老院法令によって人身犠牲が禁止されている<ref name = R1 />。執政官就任年とウィッリウス法の規定から逆算して、レントゥルスは遅くとも[[紀元前100年]]には[[プラエトル]](法務官)に就任したはずである。
レントゥルスの名前はカピトリヌスのファスティに記録され、また[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]も言及しているが<ref name = R1>プリニウス『博物誌』、XXX, 14.</ref> それ以外の資料はない。同僚執政官は[[プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前97年の執政官)|プブリウス・リキニウス・クラッスス]]であった。この年に、元老院法令によって人身犠牲が禁止されている<ref name = R1 />。執政官就任年とウィッリウス法の規定から逆算して、レントゥルスは遅くとも[[紀元前100年]]には[[プラエトル]](法務官)に就任したはずである。


== 子孫 ==
== 子孫 ==
45行目: 45行目:
{{s-bef|before=[[クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポス (紀元前98年の執政官)|クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポス]]<br />[[ティトゥス・ディディウス]]}}
{{s-bef|before=[[クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポス (紀元前98年の執政官)|クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポス]]<br />[[ティトゥス・ディディウス]]}}
{{s-ttl|title=[[共和政ローマ執政官一覧|執政官]]|years=''同僚:[[プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前97年の執政官)|プブリウス・リキニウス・クラッスス]]''<br />[[紀元前97年]]}}
{{s-ttl|title=[[共和政ローマ執政官一覧|執政官]]|years=''同僚:[[プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前97年の執政官)|プブリウス・リキニウス・クラッスス]]''<br />[[紀元前97年]]}}
{{s-aft|after=[[ガイウス・カッシウス・ロンギヌス (紀元前96年の執政官)|ガイウス・カッシウス・ロンギヌス]]<br />[[グナエウス・ドミティウス・アノバルブス (紀元前96年の執政官)|グナエウス・ドミティウス・アノバルブス]]}}
{{s-aft|after=[[ガイウス・カッシウス・ロンギヌス (紀元前96年の執政官)|ガイウス・カッシウス・ロンギヌス]]<br />[[グナエウス・ドミティウス・アノバルブス (紀元前96年の執政官)|グナエウス・ドミティウス・アノバルブス]]}}
{{s-end}}
{{s-end}}


51行目: 51行目:
[[Category:紀元前2世紀の古代ローマ人]]
[[Category:紀元前2世紀の古代ローマ人]]
[[Category:紀元前1世紀の古代ローマ人]]
[[Category:紀元前1世紀の古代ローマ人]]
[[category:コルネリウス氏族|れんとうする くなえうす 3]]
[[Category:コルネリウス氏族|れんとうする くなえうす 3]]
[[Category:共和政ローマの執政官]]
[[Category:共和政ローマの執政官]]
[[Category:生没年不詳]]
[[Category:生没年不詳]]

2021年5月10日 (月) 13:40時点における版


グナエウス・コルネリウス・レントゥルス
Cn. Cornelius Cn. f. Cn. n. Lentulus
出生 不明
死没 不明
出身階級 パトリキ
氏族 コルネリウス氏族
官職 法務官(紀元前100年以前)
執政官(紀元前97年)
テンプレートを表示

グナエウス・コルネリウス・レントゥルスラテン語: Gnaeus Cornelius Lentulus、生没年不詳)は紀元前2世紀後期・紀元前1世紀初期の共和政ローマの政治家。紀元前97年執政官(コンスル)を務めた。

出自

レントゥルスはエトルリアに起源を持つパトリキ(貴族)であるコルネリウス氏族の出身であるが、コルネリウス氏族はローマでの最も強力で多くの枝族を持つ氏族でもあった[1][2]。レントゥルスのコグノーメン(第三名、家族名)が最初に確認できる人物は、紀元前327年の執政官ルキウス・コルネリウス・レントゥルスであるが、コルネリウス氏族の他の枝族との関係は不明である[3]

カピトリヌスのファスティによるとレントゥルスの父も祖父も、プラエノーメンはグナエウスである[4]。父グナエウスは、紀元前146年の執政官と思われる。その場合、祖父グナエウス紀元前201年の執政官である。

経歴

レントゥルスの名前はカピトリヌスのファスティに記録され、また大プリニウスも言及しているが[5] それ以外の資料はない。同僚執政官はプブリウス・リキニウス・クラッススであった。この年に、元老院法令によって人身犠牲が禁止されている[5]。執政官就任年とウィッリウス法の規定から逆算して、レントゥルスは遅くとも紀元前100年にはプラエトル(法務官)に就任したはずである。

子孫

紀元前72年の執政官グナエウス・コルネリウス・レントゥルス・クロディアヌスは養子と思われる。

脚注

  1. ^ Haywood R., 1933, p. 22.
  2. ^ Bobrovnikova T., 2009, p. 346-347.
  3. ^ Münzer F. "Cornelii Lentuli", 1900 , s.1356.
  4. ^ カピトリヌスのファスティ
  5. ^ a b プリニウス『博物誌』、XXX, 14.

参考資料

古代の資料

研究書

  • Broughton R. Magistrates of the Roman Republic. - New York, 1951.
  • Haywood R. "Studies on Scipio Africanus" - Baltimore, 1933.
  • Münzer F. "Cornelii Lentuli" // RE. - 1900. - T. VII . - P. 1355-1357 .

関連項目

公職
先代
クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポス
ティトゥス・ディディウス
執政官
同僚:プブリウス・リキニウス・クラッスス
紀元前97年
次代
ガイウス・カッシウス・ロンギヌス
グナエウス・ドミティウス・アエノバルブス