「グナエウス・コルネリウス・レントゥルス (紀元前97年の執政官)」の版間の差分
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レントゥルスの名前はカピトリヌスのファスティに記録され、また[[ガイウス・プリニウス・セクンドゥス|大プリニウス]]も言及しているが<ref name = R1>プリニウス『博物誌』、XXX, 14.</ref> それ以外の資料はない。同僚執政官は[[プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前97年の執政官)|プブリウス・リキニウス・クラッスス]]であった。この年に、元老院法令によって人身犠牲が禁止されている<ref name = R1 />。執政官就任年とウィッリウス法の規定から逆算して、レントゥルスは遅くとも[[紀元前100年]]には[[プラエトル]](法務官)に就任したはずである。 |
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2021年5月10日 (月) 13:40時点における版
グナエウス・コルネリウス・レントゥルス Cn. Cornelius Cn. f. Cn. n. Lentulus | |
---|---|
出生 | 不明 |
死没 | 不明 |
出身階級 | パトリキ |
氏族 | コルネリウス氏族 |
官職 |
法務官(紀元前100年以前) 執政官(紀元前97年) |
グナエウス・コルネリウス・レントゥルス(ラテン語: Gnaeus Cornelius Lentulus、生没年不詳)は紀元前2世紀後期・紀元前1世紀初期の共和政ローマの政治家。紀元前97年に執政官(コンスル)を務めた。
出自
レントゥルスはエトルリアに起源を持つパトリキ(貴族)であるコルネリウス氏族の出身であるが、コルネリウス氏族はローマでの最も強力で多くの枝族を持つ氏族でもあった[1][2]。レントゥルスのコグノーメン(第三名、家族名)が最初に確認できる人物は、紀元前327年の執政官ルキウス・コルネリウス・レントゥルスであるが、コルネリウス氏族の他の枝族との関係は不明である[3]。
カピトリヌスのファスティによるとレントゥルスの父も祖父も、プラエノーメンはグナエウスである[4]。父グナエウスは、紀元前146年の執政官と思われる。その場合、祖父グナエウスは紀元前201年の執政官である。
経歴
レントゥルスの名前はカピトリヌスのファスティに記録され、また大プリニウスも言及しているが[5] それ以外の資料はない。同僚執政官はプブリウス・リキニウス・クラッススであった。この年に、元老院法令によって人身犠牲が禁止されている[5]。執政官就任年とウィッリウス法の規定から逆算して、レントゥルスは遅くとも紀元前100年にはプラエトル(法務官)に就任したはずである。
子孫
紀元前72年の執政官グナエウス・コルネリウス・レントゥルス・クロディアヌスは養子と思われる。
脚注
参考資料
古代の資料
- ガイウス・プリニウス・セクンドゥス『博物誌』
- カピトリヌスのファスティ
研究書
- Broughton R. Magistrates of the Roman Republic. - New York, 1951.
- Haywood R. "Studies on Scipio Africanus" - Baltimore, 1933.
- Münzer F. "Cornelii Lentuli" // RE. - 1900. - T. VII . - P. 1355-1357 .
関連項目
公職 | ||
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先代 クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ネポス ティトゥス・ディディウス |
執政官 同僚:プブリウス・リキニウス・クラッスス 紀元前97年 |
次代 ガイウス・カッシウス・ロンギヌス グナエウス・ドミティウス・アエノバルブス |