「ノート:ギリシャ独立戦争」の版間の差分

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2021年3月29日 (月) 23:17時点における版

加筆のお願い

ハプスブルク帝国のメッテルニヒがギリシャ独立戦争時に色々動いているのですが、それについて詳しく書いた資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ、教えてください。それを元に加筆いたしますのでよろしくお願いいたします。--Hideokun 2010年7月21日 (水) 08:40 (UTC)[返信]

Hideokunさん、こんにちは。
残念ながらご希望に添うものではないのですが、なかなか詳しい論文ですのでご紹介します。
記事に無い叙述も多いです。宜しければ参考にしてください。--Ashtray 2010年8月6日 (金) 14:56 (UTC)[返信]
感激のあまり、言葉が出てきません。イギリスの資料を紹介していただけるなんて思いもよりませんでした。イギリスはオーストリア以上に重要な役割を果たした国ですので、資料を探していたところです。Ashtrayさん、本当にありがとうございます。何よりも感謝の気持ちでいっぱいです。--Hideokun 2010年8月6日 (金) 18:33 (UTC)[返信]
お役に立てたようで良かったです。
バルカン史のこのあたりも、まだまだ未開拓な部分が多いので、ぜひ頑張ってください。--Ashtray 2010年8月7日 (土) 13:53 (UTC)[返信]

ウェリントン卿?

「ウェリントン卿」という記述がありますが、この時アーサー・ウェルズリーはすでにウェリントン公爵になっています。侯爵以下の貴族と異なり公爵は「Lord Wellington」と呼ばれることはないので、「ウェリントン公」の方が適切なのではないかと思うのですがいかがでしょうか。―霧木諒二 2012年3月20日 (火) 14:30 (UTC)[返信]

今、出先で参考文献が手元にありませんので、しばらくお時間をいただければと思います。--Hideokun会話2012年3月22日 (木) 15:53 (UTC)[返信]

バイロンの画像を削除

 ファイル:Lord_Byron_in_Albanian_dress.jpgがギリシャ風の衣装を着たバイロンというキャプションで掲載されておりましたが、これはブリティッシュライブラリーのウェブサイトにあるようにアルバニア風の衣装を着た肖像画で、さらにギリシャ独立戦争ではなく1809年頃にグランドツアーで入手した衣装を着た絵ですので、ここで出すのは不適切と考え、削除しました。さえぼー会話2015年7月6日 (月) 11:55 (UTC)[返信]

こんばんは、はじめまして。この記事の主な加筆を行ったHideokunともうします。当該画像キャプションにおいて「アルバニア風」というのは存じておりましたが、『ギリシアを知る事典』P238において「ギリシャ風衣装をまとうバイロン」とキャプション付されているということで画像を使用しております。また、当該画像が貼り付けされていた箇所については「混迷する状況」の中、親ギリシャ主義の西欧人がギリシャを援助するために立ち上がったことが書かれております。そこで私が親ギリシャ主義者の中でも影響力の強かったバイロンの画像を貼り付けており、バイロンの画像は当該個所には必要と考えております。そこでバイロンの画像の中で「ギリシャ風衣装」と紹介されていた当該画像を使用したということです。今回、削除されたということですが、バイロンの画像自体が必要ないということなのか、それともバイロンの服装についてのキャプションがおかしいということなのかをお知らせいただければと思います。--Hideokun会話2015年7月7日 (火) 14:17 (UTC)[返信]
    • とりあえずは「ギリシャ風衣装」というキャプションに問題があるのと、現在の位置とキャプションではギリシャ独立戦争参加中のバイロンを描いた絵と誤解される可能性があるため削除しましたが、キャプションをかなり変更し、説明をつけて元画像を復帰させるのならばそれでもかまわないとは思います(英語版でも同じ写真を使用していますが、キャプションと位置に気を配っているように思います)。ただ、バイロンについては、アルバニア風の衣装の絵ほど有名ではありませんが、「ギリシャ風の衣装を着たバイロン」という絵も別にありますので、ギリシャ風の衣装のバイロンならばこちらに差し替えるのもありではないかと思います。さえぼー会話2015年7月9日 (木) 02:22 (UTC)[返信]
長々とお返事できずに申し訳ありません。バイロン卿の画像について色々と考えましたが、さえぼーさんが上げてくださった画像はちょっと塗りというか、あまり丁寧なものではないように感じました。これまで使用してきた画像はバイロンという人物をよく表していると思うので、当該画像を復活させたいと考えています。また、「ギリシャ風衣装」というキャプションについては『ギリシアを知る事典』において使用されているキャプションであり、少なくとも周藤氏、村田氏が認めているということ点を見逃わけにはいきません。専門家が書いている以上、素人である我々が論議すべきではないというのが私のスタンスです。また、「ギリシャ独立戦争中のバイロン」と記載していないという意味で、また、出典があるという意味では問題ないと考えます。ただ、キャプションを除いてただ単に--Hideokun会話) 2015年8月7日 (金) 12:41 (UTC)「バイロン卿」などとすることも考えています。本来ならばリチャードグロッグ著『ギリシャの歴史』P51にある「メソロンギに着いた詩人バイロン卿」の画像があれば一番、いいのですが、残念ながらコモンズにはないようです。以上、長々と書きましたが、どこかで折り合いを付けたいと思います、いかがでしょうか。--Hideokun会話2015年8月7日 (金) 12:41 (UTC)[返信]
「バイロン卿の肖像」などというキャプションで衣裳がどこのものであるのかに言及せずに復活させるのでしたら同意いたします。さえぼー会話2015年8月8日 (土) 05:26 (UTC)[返信]
補足です。私信ですので参考になるかどうかわかりませんが、版元の東京堂にメールをして問い合わせたところ、「ご指摘の通り238ページに掲載されている「ギリシア風衣裳を身にまとったバイロン」の肖像画の写真は「アルバニア風衣裳」です。(中略)誤植として、本文の訂正は処理いたします。」という返信がきましたので、単なる誤植であったということです。さえぼー会話2015年8月11日 (火) 02:30 (UTC)[返信]
キャプションを「バイロン」だけにして復活させてもいいですし、File:Lord Byron at Missolonghi.jpgもいいですね。ミソロンギといえばバイロン、バイロンといえばミソロンギということで、画像が無いのは寂しいです。Takabeg会話2015年12月6日 (日) 13:37 (UTC)[返信]
知らぬ間に少し進んでいたようで、失礼をいたしました。まずさえぼー様、ご確認作業お疲れ様です。ただ、現段階ではあくまでも個人でのメール確認ということで次の版が出た時に訂正されていることを願うのみです。(誤植というにはどうかと思いますが・・・)遅れ馳せではありますが、感謝いたします。
Takabeg様、私が探していた画像を見つけていただけたことに感謝いたします。当該記事に加筆した際に見付けることができなかったため、致し方なく削除されました画像をギリシャを知る辞典のキャプションに従って付けたという経緯がありますので、これで私の考えている完成形へ近づいたように思います。現在、Wikipediaでの活動を縮小している関係から返事が遅くなりましたことをお詫びいたします。ありがとうございました。--Hideokun会話2015年12月21日 (月) 09:06 (UTC)[返信]
それはなによりです。それと、「コロコトロニス率いる部隊がデルヴェナキアでメフメト・アリ・パシャ (en) 率いる部隊を撃破した」とありますが、デルヴェナキアの戦い英語版でオスマン側を指揮したのはドラマル・マフムード・パシャ英語版のはずです。Takabeg会話2015年12月21日 (月) 14:59 (UTC)[返信]
参考文献を確認したいのですが、しばらくは本業が忙しくまた、他にやることも多くあり、なおかつ文献がすぐに参照できるところにありませんので即座に身動きがとれません。多分、早くても2月頃にはなるかもしれませんので、お待ちいただけるならばいいのですが。もしTakabegさんの方で可能でしたら当該箇所に示されている参考文献を確認していただければと思います。--Hideokun会話2015年12月31日 (木) 09:44 (UTC)[返信]