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[[ファイル:Caliph Abdulmecid II of the Ottoman Empire.jpg|thumb|right|180px|妃のオスマン帝国皇女[[デュルリュシェフヴァル・スルタン|デュルリュシェフヴァル]]、その父、オスマン帝国最後のカリフ[[アブデュルメジト2世]]と([[1931年]])]] |
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[[1907年]][[2月21日]]、[[ニザーム藩王国]]の君主[[ウスマーン・アリー・ハーン]](当時はまだ王太子)の長男として、[[ハイダラーバード]]で生まれた<ref name=Hyderabad11>[http://www.royalark.net/India/hyder11.htm Hyderabad 11]</ref>。母は[[ドゥルハーン・パシャ・ベーグム]]<ref name=Hyderabad11/>。 |
[[1907年]][[2月21日]]、[[ニザーム藩王国]]の君主[[ウスマーン・アリー・ハーン]](当時はまだ王太子)の長男として、[[ハイダラーバード]]で生まれた<ref name=Hyderabad11>[http://www.royalark.net/India/hyder11.htm Hyderabad 11]</ref>。母は[[ドゥルハーン・パシャ・ベーグム]]<ref name=Hyderabad11/>。 |
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2021年2月14日 (日) 14:05時点における版
アーザム・ジャー | |
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ニザーム藩王国王太子 | |
アーザム・ジャーとその家族 | |
称号 | ベラール公 |
出生 |
1907年2月21日 ハイダラーバード |
死去 |
1970年10月9日(63歳没) ハイダラーバード |
配偶者 | デュルリュシェフヴァル・スルタン |
子女 |
バルカト・アリー・ハーン カマラト・アリー・ハーン |
父親 | ウスマーン・アリー・ハーン |
母親 | ドゥルハーン・パシャ・ベーグム |
アーザム・ジャー(Azam Jah, 1907年2月21日 - 1970年10月9日)は、インドのデカン地方、ニザーム藩王国(ハイダラーバード藩王国)の王太子。ベラール公(Prince of Berar)とも呼ばれる。本名はヒマーヤト・アリー・ハーン(Himayat Ali Khan)。
歴史
1907年2月21日、ニザーム藩王国の君主ウスマーン・アリー・ハーン(当時はまだ王太子)の長男として、ハイダラーバードで生まれた[1]。母はドゥルハーン・パシャ・ベーグム[1]。
1911年9月18日、父王が戴冠したことにより、王太子に任命される[1]。
1931年11月14日、オスマン帝国の皇女でイスラーム世界最後のカリフの娘でもあるデュルリュシェフヴァル・スルタンと、南仏のニースで結婚した[1]。デュルリュシェフヴァル・スルタンと仲はとてもよく、2人の息子にも恵まれた[1]。
1936年11月13日、ベラール公の称号を授けられる[1]。
1948年9月、藩王国がポロ作戦によりインド共和国へと併合されると、父は退位せねばならず、アーザム・ジャーも同時に王太子の地位を失った。