「クィリニウス」の版間の差分
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2020年3月29日 (日) 09:19時点における版
プブリウス・スルピキウス・クィリニウス(古典ラテン語:Publius Sulpicius Quirinius (c. 51 BC – AD 21) (プブリウス・スルピキウス・クィリニウス)) は、ローマ帝国のシリヤ・キリキヤ総督(在任:6年 - 9年)。ルカの福音書2章2節で「全世界の住民登録」を行ったとされる総督クレニオ(キリニウス)として知られる。
[1]。
概説
前12年、ローマでコンスルに選ばれた。間もなくして、ガラテヤの南境の山地部族、ホモナデンセス家との戦いを指揮して、勝利を収めた。前3年アジア州の総督になった。
紀元3年から4年まで、ガイウス・カイザリヤのアルメニヤ遠征に後見人として同国、紀元6年から9年、シリヤ・キリキヤ地方の総督を務め、これをもって公職を退き、ローマに戻り21年に死去した。
キリスト教の聖書におけるクレニオ
クィリニウスは、ルカの福音書のイエス・キリスト誕生の物語の最初に「クレニオ(クィリニウス)がシリアの総督であった時の最初の住民登録であった。」(新改訳聖書)言及されている。
ヨセフォスは住民登録を記しているが、それは使徒行伝5章37節に記されている、クィリニウスによる人口調査は紀元6年のことである。ユダヤがアケラオの廃位によってローマの属州となったことをきっかけにクィリニウスが実施したことである。[2]。
しかし、イエスの誕生は紀元4年より前であるといわれるので、ルカ2章2節の「全世界の住民登録」は、クィリニウスが実施した紀元6年の人口調査とは異なる。つまり、ルカに記されている住民登録はヨセフォスが記していない別の登録ということになる。
テルトリアヌスが、シリヤ総督であったサトゥルニウス(在位:前9年-6年)人口調査を行ったと記録している。また、住民登録は14年ごとに行われていたことが分かっている。また、ギリシア語「最初の」とは「以前の」との訳せるので、「総督クレニオが実施した以前の総督サトゥルニヌスによる」住民登録であると解釈することができる。[3]
また、ラピス・ティブルティヌスという碑文に、シリヤの総督に2度目についたローマ人の業績が報告されている。それが、クィリニウスであった可能性がある。
M・W・ラムゼーは、前10年クィリニウスがシリヤの軍事担当の総督になり、同時にサトゥルニウスが行政を担当したという仮説を立てた。その時に、クィリニウスが軍事担当の総督として住民登録を実施したという仮説である。
前12年にコンスルになって以来、東方に影響力を持っていたクィリニウスが、ヘロデ大王の領内での人口調査を強要したという仮説もある。
日本語訳聖書における名前の表記
クレニオは新約聖書に記載のある人物だが、日本語訳聖書の中では様々な表記がなされる。具体例を挙げるとクレニオ(文語訳・口語訳・新改訳)、キリノイ(正教会訳)、キリニウス(共同訳)、キリニウス(新共同訳)などがある。
脚注
- ^ 『新聖書辞典』、いのちのことば社、1985年、ISBN 4-264-00706-2、P418-419。
- ^ フラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌6 新約時代編[XVIII][XIX][XX]』株式会社筑摩書房、2000年、ISBN 4-480-08536-X、P41-42。
- ^ 熊谷徹「ルカの福音書」『実用聖書注解』p.1099