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* 2011年 [[原子力安全・保安院]]原子力安全技術基盤課安全基準統括管理官 |
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* 2012年 原子力安全・保安院核燃料管理規制課長 |
* 2012年 原子力安全・保安院核燃料管理規制課長 |
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* 2012年 原子力規制庁国際課長 |
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* 2013年 原子力規制庁安全規制管理官 |
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* 2016年 原子力規制庁実用発電用原子炉規制総括官 |
* 2016年 原子力規制庁実用発電用原子炉規制総括官 |
2020年1月3日 (金) 10:06時点における版
山形 浩史(やまがた ひろし)は、日本の官僚。
人物
1985年京都大学工学部原子核工学科卒業。1987年京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻修士課程終了。
原子力安全・保安院安全基準統括管理官、核燃料管理規制課長を務め東京電力福島第一原子力発電所事故直後に東京電力本社に派遣され、原子力安全・保安院職員や東電技術者を指導して事故の収束に当たる。2011年12月には、内閣総理大臣補佐として事故の収束宣言を行う。
原子力規制委員会発足後、国際課長、安全規制管理官[1]、規制総括官等を経て、緊急事態対策監[2]。福島第一原子力発電所の監督、原子力発電所の再稼働に関する安全審査の見直し、原子力災害の重大事故の準備・対策を行なっている。
長岡科学技術大学専門職大学院教授でもある[3]。
経歴
- 1985年 通商産業省入省
- 1995年 通商産業省大臣官房企画室企画主任
- 1996年 中小企業庁指導部技術課総括班長
- 1998年 経済協力開発機構行政官
- 2000年 資源エネルギー庁公益事業部原子力発電課総括班長
- 2001年 資源エネルギー庁電力・ガス事業部放射線廃棄物対策調整室長
- 2002年 資源エネルギー庁エネルギー情報企画室長
- 2004年 大臣官房参事官(環境担当)[4]
- 2005年 産業技術環境局環境交渉官
- 2009年 産業技術環境局国際室長
- 2010年 中国経済産業局資源エネルギー環境部長
- 2011年 原子力安全・保安院原子力安全技術基盤課安全基準統括管理官
- 2012年 原子力安全・保安院核燃料管理規制課長
- 2012年 原子力規制庁国際課長
- 2013年 原子力規制庁安全規制管理官
- 2016年 原子力規制庁実用発電用原子炉規制総括官
- 2017年 原子力規制庁長官官房審議官
- 2017年 原子力規制庁長官官房緊急事態対策監