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'''マツミドリ'''([[1944年]] - [[1953年]])は[[日本]]の[[競走馬]]。父[[カブトヤマ]]と母の間に生まれた[[馬の毛色|鹿毛]]の[[牡馬|牡]]の[[サラブレッド]]である。第14回東京優駿競走(現[[東京優駿]]・日本ダービー)に優勝し父カブトヤマに次ぐ親子2代での日本ダービー制覇を達成した。全23戦9勝、獲得賞金は
'''マツミドリ'''([[1944年]] - [[1953年]])は[[日本]]の[[競走馬]]。父[[カブトヤマ]]と母の間に生まれた[[馬の毛色|鹿毛]]の[[牡馬|牡]]の[[サラブレッド]]である。第14回東京優駿競走(現[[東京優駿]]・日本ダービー)に優勝し父カブトヤマに次ぐ親子2代での日本ダービー制覇を達成した。


農林省賞典(現[[皐月賞]])2着を経て出走した東京優駿競走では農林省賞典優勝馬[[トキツカゼ]]に雪辱を果たし優勝した。1945-46年は日本ダービーに当たる競走が中止されており、この年は戦後初の開催であった。また、父カブトヤマは1933年に第2回東京優駿大競走(日本ダービーにあたる)を制しており親子2代のダービー制覇を達成したことで「ダービー馬はダービー馬から」という言葉が生まれた。ただ、東京優駿競走後は農林省賞典や[[京都記念]]に優勝しているものの、マツミドリの東京優駿競走優勝を受けて創設された父を記念する[[競走]]である[[カブトヤマ記念]]は6着に敗れている。引退後は[[種牡馬]]となったがあまり成功することは出来なかった。代表産駒はダイゴ。
農林省賞典(現[[皐月賞]])2着を経て出走した東京優駿競走では農林省賞典優勝馬[[トキツカゼ]]に雪辱を果たし優勝した。1945-46年は日本ダービーに当たる競走が中止されており、この年は戦後初の開催であった。また、父カブトヤマは1933年に第2回東京優駿大競走(日本ダービーにあたる)を制しており親子2代のダービー制覇を達成したことで「ダービー馬はダービー馬から」という言葉が生まれた。ただ、東京優駿競走後は農林省賞典や[[京都記念]]に優勝しているものの、マツミドリの東京優駿競走優勝を受けて創設された父を記念する[[競走]]である[[カブトヤマ記念]]は6着に敗れている。引退後は[[種牡馬]]となったがあまり成功することは出来なかった。代表産駒はダイゴ。

2006年9月2日 (土) 19:00時点における版

(マツミドリ)
(サイズ)px
(画像の説明]
品種 (サラブレッド)
性別 (牡)
毛色 (鹿毛)
白斑 (白斑)
生誕 (1944年)
死没 (1953年)
(カブトヤマ)
(栄幟)
生国 (日本)
生産者 (生産牧場、又は生産者)
馬主 (馬主)
調教師 (調教師)
厩務員 (担当厩務員)
競走成績
生涯成績 (23戦9勝)
獲得賞金 (83万2040円)
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マツミドリ1944年 - 1953年)は日本競走馬。父カブトヤマと母の間に生まれた鹿毛サラブレッドである。第14回東京優駿競走(現東京優駿・日本ダービー)に優勝し父カブトヤマに次ぐ親子2代での日本ダービー制覇を達成した。

農林省賞典(現皐月賞)2着を経て出走した東京優駿競走では農林省賞典優勝馬トキツカゼに雪辱を果たし優勝した。1945-46年は日本ダービーに当たる競走が中止されており、この年は戦後初の開催であった。また、父カブトヤマは1933年に第2回東京優駿大競走(日本ダービーにあたる)を制しており親子2代のダービー制覇を達成したことで「ダービー馬はダービー馬から」という言葉が生まれた。ただ、東京優駿競走後は農林省賞典や京都記念に優勝しているものの、マツミドリの東京優駿競走優勝を受けて創設された父を記念する競走であるカブトヤマ記念は6着に敗れている。引退後は種牡馬となったがあまり成功することは出来なかった。代表産駒はダイゴ。