「デクマヌス・マクシムス」の版間の差分

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[[File:Castra1.png|thumb|right|250px|1:[[フォルム]], 2:[[カルド・マクシムス]], 3:'''デクマヌス・マクシムス''' (※ 図の上を北とする)]]
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'''デクマヌス・マクシムス'''({{lang-la|Decumanus Maximus}})は、[[古代ローマ]]の[[都市]]の中心部を東西に貫く基幹[[道路]]<ref name="albert">アルベルト・アンジェラ著 ローマ帝国1万5千キロの旅 p.483 ISBN 978-4-309-22589-0</ref>のことを指す。[[カストラ]]や[[コロニア (古代ローマ)|コロニア]]などでは、デクマヌス・マクシムスの敵に近い方向の市街地境界の門をプラエトリア門、反対側の門をデクマナ門と呼ぶこともあった。
'''デクマヌス・マクシムス'''({{lang-la|Decumanus Maximus}})は、[[古代ローマ]]の[[都市]]の中心部を東西に貫く基幹[[道路]]<ref name="albert">アルベルト・アンジェラ著 ローマ帝国1万5千キロの旅 p.483 ISBN 978-4-309-22589-0</ref>のことを指す。[[カストラ]]や[[コロニア (古代ローマ)|コロニア]]などでは、デクマヌス・マクシムスの敵に近い方向の市街地境界の門をプラエトリア門、反対側の門をデクマナ門と呼ぶこともあった。「デクマヌス」は、「デクマーヌス」<ref>{{Cite book|和書 |author = 亀長洋子 |year = 2011 |title = イタリアの中世都市 |publisher = [[山川出版社]] |page = 5 |isbn = 978-4-634-34944-5}}</ref>とも表記する


都市の中心付近で、南北方向の基幹道路である[[カルド・マクシムス]]<ref name="albert" />と交差しており、[[フォルム]](公共広場)がその付近に造られることが多かった。
都市の中心付近で、南北方向の基幹道路である[[カルド・マクシムス]]<ref name="albert" />と交差しており、[[フォルム]](公共広場)がその付近に造られることが多かった。

2018年6月17日 (日) 06:30時点における最新版

1:フォルム, 2:カルド・マクシムス, 3:デクマヌス・マクシムス (※ 図の上を北とする)

デクマヌス・マクシムスラテン語: Decumanus Maximus)は、古代ローマ都市の中心部を東西に貫く基幹道路[1]のことを指す。カストラコロニアなどでは、デクマヌス・マクシムスの敵に近い方向の市街地境界の門をプラエトリア門、反対側の門をデクマナ門と呼ぶこともあった。「デクマヌス」は、「デクマーヌス」[2]とも表記する。

都市の中心付近で、南北方向の基幹道路であるカルド・マクシムス[1]と交差しており、フォルム(公共広場)がその付近に造られることが多かった。

また、東西の通りのことを単にデクマヌスとも呼んでいた。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ a b アルベルト・アンジェラ著 ローマ帝国1万5千キロの旅 p.483 ISBN 978-4-309-22589-0
  2. ^ 亀長洋子『イタリアの中世都市』山川出版社、2011年、5頁。ISBN 978-4-634-34944-5