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'''アカイア人'''(または{{lang-grc|Ἀχαιοί}}, Achaioi, '''アカイオイ''')とは、[[紀元前20世紀|紀元前2000年]]頃[[テッサリア]]方面から南下して[[ペロポネソス半島]]一帯に定住したとされる[[古代ギリシア]]の集団。後に、その一部は[[イオニア人]]と呼ばれる様になった。 |
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アカイオイの呼び名は、『[[イリアス]]』や『[[オデュッセイア]]』といった[[ホメロス]]の[[叙事詩]]では、そこで描かれるギリシア人の総称として用いられている。[[ミケーネ文明]]を構成した集団と考えられており、[[ミノア文明]]を滅ぼした。[[アナトリア半島]]に勢力を持った[[ヒッタイト#ヒッタイト新王国|ヒッタイト新王国]]時代の[[粘土板]]文書や、[[エジプト]]の碑文に、'''アヒヤワ'''({{lang-en|Ahhiyawa}})の名前で登場する。 |
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ミケーネ文明崩壊後、[[暗黒時代 (古代ギリシア)|暗黒時代]]を経て[[ポリス]]時代に入ってからは、アカイオイの呼称はテッサリア南東部と、{{仮リンク|シュキオン|en|Sykia}}から[[エーリス]]にかけての[[コリントス湾]]岸の住民を指した。この時代のアカイオイが建設した殖民市に、南[[イタリア]]の{{仮リンク|シュバリス|en|Sybaris}}や[[クロトン]]などがある。ギリシア本土のアカイオイ12のポリスは[[アカイア同盟]]を構成し、アカイオイ以外をも含み拡大した。その後解体し、[[紀元前280年]]に4つのポリスによって再結成された。 |
ミケーネ文明崩壊後、[[暗黒時代 (古代ギリシア)|暗黒時代]]を経て[[ポリス]]時代に入ってからは、アカイオイの呼称はテッサリア南東部と、{{仮リンク|シュキオン|en|Sykia}}から[[エーリス]]にかけての[[コリントス湾]]岸の住民を指した。この時代のアカイオイが建設した殖民市に、南[[イタリア]]の{{仮リンク|シュバリス|en|Sybaris}}や[[クロトン]]などがある。ギリシア本土のアカイオイ12のポリスは[[アカイア同盟]]を構成し、アカイオイ以外をも含み拡大した。その後解体し、[[紀元前280年]]に4つのポリスによって再結成された。 |
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== 関連項目 == |
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* [[ギリシャの歴史]] |
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2016年3月4日 (金) 14:37時点における版
アカイア人(または古代ギリシア語: Ἀχαιοί, Achaioi, アカイオイ)とは、紀元前2000年頃テッサリア方面から南下してペロポネソス半島一帯に定住したとされる古代ギリシアの集団。後に、その一部はイオニア人と呼ばれる様になった。
概要
アカイオイの呼び名は、『イリアス』や『オデュッセイア』といったホメロスの叙事詩では、そこで描かれるギリシア人の総称として用いられている。ミケーネ文明を構成した集団と考えられており、ミノア文明を滅ぼした。アナトリア半島に勢力を持ったヒッタイト新王国時代の粘土板文書や、エジプトの碑文に、アヒヤワ(英語: Ahhiyawa)の名前で登場する。
その一部は後に南下してきたドーリア人に征服された。
ミケーネ文明崩壊後、暗黒時代を経てポリス時代に入ってからは、アカイオイの呼称はテッサリア南東部と、シュキオンからエーリスにかけてのコリントス湾岸の住民を指した。この時代のアカイオイが建設した殖民市に、南イタリアのシュバリスやクロトンなどがある。ギリシア本土のアカイオイ12のポリスはアカイア同盟を構成し、アカイオイ以外をも含み拡大した。その後解体し、紀元前280年に4つのポリスによって再結成された。