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[[修容]]嬪王氏(後に[[懿肅貴妃]]となった)の長女として生まれた。[[崇寧]]4年閏二月二十八日に生まれ、百日で恵慶公主の位を授けられたが、十月二十一日に夭折した。
[[修容]]嬪王氏(後に[[懿肅貴妃]]となった)の長女として生まれた。[[崇寧]]4年閏二月二十八日に生まれ、百日で恵慶公主の位を授けられたが、十月二十一日に夭折した。


公主の位を追贈され、奉先資福禅院に葬られた。[[大観]]元年、祖父の永裕陵に従葬された。政和四年十二月、'''恵淑帝姫'''の位を再追贈された。
公主の位を追贈され、奉先資福禅院に葬られた。[[大観]]元年、祖父の永裕陵に従葬された。政和四年十二月、'''恵淑帝姫'''の位を再追贈された。


== 伝記資料 ==
== 伝記資料 ==
* 『故贈鄧公主追封記』
* 『故贈鄧公主追封記』
* 『皇第七女特封恵慶公主制』
* 『皇第七女特封恵慶公主制』



2015年4月19日 (日) 13:21時点における版

恵淑帝姫1105年 - 1105年)は、北宋徽宗の第七皇女。

経歴

修容嬪王氏(後に懿肅貴妃となった)の長女として生まれた。崇寧4年閏二月二十八日に生まれ、百日で恵慶公主の位を授けられたが、十月二十一日に夭折した。

鄧国公主の位を追贈され、奉先資福禅院に葬られた。大観元年、祖父の永裕陵に従葬された。政和四年十二月、恵淑帝姫の位を再追贈された。

伝記資料

  • 『故贈鄧国公主追封記』
  • 『皇第七女特封恵慶公主制』