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高清水城は[[戦国大名]]・[[大崎氏]]の城であったが、[[豊臣秀吉]]の[[奥州仕置]]によって大崎氏が改易されると、[[木村吉清]]が新領主となる。 |
高清水城は[[戦国大名]]・[[大崎氏]]の城であったが、[[豊臣秀吉]]の[[奥州仕置]]によって大崎氏が改易されると、[[木村吉清]]が新領主となる。 |
2014年9月23日 (火) 10:41時点における版
高清水城(たかしみずじょう)は、宮城県栗原市(旧・高清水町)にあった日本の城。
高清水城は戦国大名・大崎氏の城であったが、豊臣秀吉の奥州仕置によって大崎氏が改易されると、木村吉清が新領主となる。
伊達政宗の煽動により葛西大崎一揆が発生すると、高清水城は一揆勢に攻略されたが、秀吉より一揆鎮圧を命じられた政宗によって奪還された。
一揆鎮圧後、政宗が転封されて岩出山城に移ると、高清水城も伊達氏の所領となり、慶長9年(1604年)10月、涌谷城主・亘理重宗に隠居領として与えられる。慶長11年(1606年)、政宗の庶子・宗根に重宗の末娘を嫁がせて婿養子とし、隠居領と併せて亘理氏の名跡を継がせることになった(高清水亘理家。のちに佐沼亘理家)。宝暦7年(1757年)に第5代・亘理倫篤が佐沼城に移されると、高清水城には石母田興頼が宮崎城から入り、石母田氏の居城として幕末に至った。