佐沼城
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佐沼城 (宮城県) | |
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別名 | 佐沼要害・鹿ヶ城 |
城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 照井高直 |
築城年 | 文治年間 |
遺構 | 曲輪跡、堀切・土塁 |
位置 |
佐沼城(さぬまじょう)は、宮城県登米市(旧迫町)にあった日本の城。江戸時代は伊達氏の支配下の元佐沼要害と称した。
歴史[編集]
藤原秀衡の家臣・照井高直[1]によって築城。 鎌倉時代は葛西氏の支配下の城であったが、戦国時代には大崎氏の持城であった。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の奥州仕置によって大崎氏は改易され、木村吉清の持城となった。葛西大崎一揆が勃発すると木村吉清・木村清久父子はこの城に籠城した。同年木村父子は伊達政宗によって救出された。政宗が一揆煽動の容疑により京に召喚された間に城は再び一揆の手に落ちたが、翌年政宗によって奪還された。一揆平定後は伊達氏の所領となって湯目景康が城主となる。津田氏が7代続いた後、宝暦7年(1757年)亘理倫篤が高清水城から移り、幕末まで亘理氏の城となった。1871年(明治4年)の廃藩置県で廃城となる。
所在地[編集]
- 宮城県登米市迫町佐沼字内町
関連項目[編集]
- 日本の城一覧
- 鹿ヶ城公園
- 登米市歴史博物館
- 天神社 (登米市)
- 照井高直
- 佐沼直信
- 石川直村
- 石川義誠
- 石川義広
- 石川彦九郎
- 津田頼康
- 津田景康
- 津田春康
- 津田武康
- 津田広康
- 津田定康
- 亘理倫篤
- 亘理清胤
- 亘理基胤
- 亘理隆胤