「7月15日殉教者の橋」の版間の差分
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[[ボスポラス海峡]]への架橋は、[[1957年]]に当時の[[アドナン・メンデレス]]首相によって決定された。完成は[[1973年]][[10月30日]]、[[トルコ]]共和国建国50周年記念日の翌日のことである。 |
[[ボスポラス海峡]]への架橋は、[[1957年]]に当時の[[アドナン・メンデレス]]首相によって決定された。完成は[[1973年]][[10月30日]]、[[トルコ]]共和国建国50周年記念日の翌日のことである。 |
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全体の負荷がかかる橋梁中央部では、90cm程度たわんでいる。 |
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2013年2月6日 (水) 06:02時点における版
ボスポラス橋(ボスポラス大橋、The Bosphorus Bridge)は、イスタンブルでボスポラス海峡に架かる吊り橋である。ボスポラス海峡に架かるもう一つのボスポラス橋(ファーティフ・スルタン・メフメト橋・通称第二ボスポラス橋)と区別するため、第一ボスポラス橋と呼ばれることもある。
歴史
ボスポラス海峡への架橋は、1957年に当時のアドナン・メンデレス首相によって決定された。完成は1973年10月30日、トルコ共和国建国50周年記念日の翌日のことである。
概要
- 全長 - 1,510m
- 中央支間長 - 1,074m
- 幅員 - 39m(6車線)
- 高さ - 64m
- 主塔の高さ - 105m
全体の負荷がかかる橋梁中央部では、90cm程度たわんでいる。
交通
交通量は約180,000台/日である。平日は時間帯により中央線の位置が変わる。平日朝の通勤時間帯は交通の多くがヨーロッパ側へ向かう西行きのため、6車線のうち4車線が西行き交通に割り当てられている。一方、平日夕方は4車線がアジア側へ向かう東行き交通に割かれ、西行きは2車線のみとなる。開通後4年間は塔内エレベーターを用いて橋を歩いて渡ることができたが、現在では歩行者や商用車の通行は禁止されている。
橋の東側に料金所が設置されており、ヨーロッパ側からアジア側へ向かう車両に限り通行料が課される。支払いは、OGSと呼ばれる料金自動収受システムもしくはKGSと呼ばれるプリペイドカードシステムに完全移行し、2006年より現金による支払いはできない。
関連項目
- ファーティフ・スルタン・メフメト橋 第一ボスポラス橋より5kmほど北に位置する。
- 2009年12月14日、日本のコメディアン、間寛平がアースマラソンの走破横断手段として、現在歩行者の通行が許されていない第一ボスポラス橋を通行した。車道から橋に入り、走破横断した。