「アイドゥン侯国」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m ロボットによる 追加: als:Beylik von Aydın |
m ロボットによる 追加: pt:Beilhique de Aydin |
||
24行目: | 24行目: | ||
[[es:Beylicato de Aydınoğlu]] |
[[es:Beylicato de Aydınoğlu]] |
||
[[fr:Émirat d'Aydın]] |
[[fr:Émirat d'Aydın]] |
||
[[pt:Beilhique de Aydin]] |
|||
[[ru:Айдыногуллары]] |
[[ru:Айдыногуллары]] |
||
[[tr:Aydınoğulları Beyliği]] |
[[tr:Aydınoğulları Beyliği]] |
2012年9月15日 (土) 02:41時点における版
アイドゥン侯国(‐こうこく、Aydınoğlu)はビルギに都し後にアヤスルー(Ayasluğ、現セルチュク)に遷都した、14世紀のルーム・セルジューク朝の衰退期にオグズ諸部族により建国された辺境の君侯国(ベイリク)の一つ。国名は創始者のアイドゥノール・メフメド・ベイ(Aydınoğlu Mehmed Bey)に因む。
イズミルの港の一部を最後まで領有し続け、断続的にその町を領有していた時期もあった。特にアイドゥンの息子アイドゥノール・ウムル・ベイ(Aydınoğlu Umur Bey)の治世では強い海軍力を持った。
この国が最初にオスマン帝国に組み入れられたのは1390年だが、ティムール朝のアナトリア侵略が起きた1402年以降反乱し、1425年の平定で完全にオスマン帝国の一部となった。
都市名のアイドゥンはこの王朝名に由来する。