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認識論の分野では[[コンディヤック]]の感覚論を唯物論に結びつけ、人間精神の活動のすべてを「身体的感性 sensibilité physique」に還元できるとした。人間の欲望・情熱・社交性・思想・判断・意思表示・行動の基盤はsensibilité physiqueである。人間を感覚・感性に支配された一個の機械であるとする点で、エルヴェシウスは[[ラ・メトリ]]や[[ドルバック]]のような唯物論者と一致する。
認識論の分野では[[コンディヤック]]の感覚論を唯物論に結びつけ、人間精神の活動のすべてを「身体的感性 sensibilité physique」に還元できるとした。人間の欲望・情熱・社交性・思想・判断・意思表示・行動の基盤はsensibilité physiqueである。人間を感覚・感性に支配された一個の機械であるとする点で、エルヴェシウスは[[ラ・メトリ]]や[[ドルバック]]のような唯物論者と一致する。


社会道徳の分野では、公共にとっての利益が善の基準であると考え、[[ベンサム]]の功利主義や[[ウィリアム・ゴドウィン]]に影響を与えている<ref>{{Cite book|和書|author=L・スティーヴン|year=1970|title=十八世紀イギリス思想史・下|publisher=[[筑摩書房]]|pages=P.143}}</ref>。徳はエルヴェシウスにとって、他者を考慮する政治的な感情・行動である。では個人的利益を追求するように見える物理的感覚から公共の利益への志向はどのように導き出されるのか。エルヴェシウスは、「将来の予想や期待」「教育」によって道徳的感情を涵養しうると答えることでこの疑問を解決しようとした。
社会道徳の分野では、公共にとっての利益が善の基準であると考え、[[ベンサム]]の功利主義や[[ウィリアム・ゴドウィン]]に影響を与えている<ref>{{Cite book|和書|author=L・スティーヴン|year=1970|title=十八世紀イギリス思想史・下|publisher=[[筑摩書房]]|pages=P.143}}</ref>。徳はエルヴェシウスにとって、他者を考慮する政治的な感情・行動である。では個人的利益を追求するように見える物理的感覚から公共の利益への志向はどのように導き出されるのか。エルヴェシウスは、「将来の予想や期待」「教育」によって道徳的感情を涵養しうると答えることでこの疑問を解決しようとした。


==著作==
==著作==

2012年5月5日 (土) 11:50時点における版

C・A・エルヴェシウス

クロード=アドリアン・エルヴェシウス(Claude-Adrien Helvetius、1715年1月26日1771年12月26日)は、18世紀フランス哲学者啓蒙思想家

生涯

スイスからパリに移住した医者の家系に生まれる。23歳の時に徴税請負人となる。自宅にサロンを開き、当時の啓蒙思想家であるヴォルテールディドロジャーナリストシュアールやイタリアの経済学者フェルディナンド・ガリアーニなどと交流。

思想

認識論の分野ではコンディヤックの感覚論を唯物論に結びつけ、人間精神の活動のすべてを「身体的感性 sensibilité physique」に還元できるとした。人間の欲望・情熱・社交性・思想・判断・意思表示・行動の基盤はsensibilité physiqueである。人間を感覚・感性に支配された一個の機械であるとする点で、エルヴェシウスはラ・メトリドルバックのような唯物論者と一致する。

社会道徳の分野では、公共にとっての利益が善の基準であると考え、ベンサムの功利主義やウィリアム・ゴドウィンに影響を与えている[1]。徳はエルヴェシウスにとって、他者を考慮する政治的な感情・行動である。では個人的利益を追求するように見える物理的感覚から公共の利益への志向はどのように導き出されるのか。エルヴェシウスは、「将来の予想や期待」「教育」によって道徳的感情を涵養しうると答えることでこの疑問を解決しようとした。

著作

  • 『精神論 De l'esprit』(1758年)
  • 『人間論 De l'homme』(1771年)

参考文献

脚注

  1. ^ L・スティーヴン『十八世紀イギリス思想史・下』筑摩書房、1970年、P.143頁。