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2010年8月13日 (金) 17:04時点における版
中国共産党中央党校(ちゅうごくきょうさんとうちゅうおうとうこう)は、中国共産党中央委員会に直属し、中国共産党の高級幹部を養成する機関。そのため校長のポストは重職となり、後に党総書記に就く胡耀邦や胡錦濤も過去に務めていたことがある。機関紙は学習時報。
文化大革命が終結した翌年の1977年に復活し、中央宣伝部長でもある胡耀邦が副校長に就任すると、理論研究室を設立して阮銘、呉江、孫長江らブレーンに内部雑誌『理論動態』の中で様々な改革理論を提起させ、党内の思想解放を促した。その中でも、「真理の追究」は先に出された鄧小平の『実事求是』論と呼応して毛沢東無謬論を盾に改革を妨害する華国鋒らすべて派を批判し、第11期3中全会での政策転換に貢献した。
1982年6月、胡耀邦が総書記職に専念するため、鄧力群の推薦で保守派長老の王震が後任に就いたが、保守派のトップである陳雲から「黄埔軍官学校のような組織にしてほしい」と指示を受けており、校長の権限で阮銘を党籍剥奪、呉江、孫長江を異動させるなど党校内部の改革派が一掃された。また、2001年に、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスを訪問した[1]。
学部
哲学、経済学、科学社会主義、政法、中央党史、党建設、文史の7つの教学研究部がある。現在の在校数は約1600名。各省、自治区、市にもそれぞれ委員会党校があり、校長は各地の委員会副書記などが兼務する。
現在の指導部
- 校長:習近平
- 副校長:虞雲耀(常務)、王偉光、李君如、石泰峰、孫慶聚
主な卒業生
歴代の校長
- 1949年10月-劉少奇
- 1953年3月-凱豊
- 1954年11月-李卓然
- 1955年4月-揚献珍
- 1961年2月-王従吾
- 1963年1月-1966年8月:林楓
- 1977年3月-華国鋒
- 1982年4月-王震
- 1987年3月-高揚
- 1989年3月-喬石
- 1993年2月-胡錦濤
- 2002年12月-曽慶紅
- 2007年12月-習近平