「エリュトゥラー海案内記」の版間の差分

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*[[紅海]]
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*[[ペルシア湾]]
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*[[ソコトラ島]]
*[[アラビア海]]
*[[アラビア海]]
*[[インダス河|インダス河口]]
*[[インダス河|インダス河口]]
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*[[マレー半島]]
*[[マレー半島]]


[[中国]][[秦]]から[Cina]という呼称で紹介し、[[チャイナ]]、シノワ、[[シナ]]の語源となった。
[[中国]]について、「[[秦]]」の名にもとづいて ''Cina'' (チナ)という呼称で紹介し、ヨーロッパ各地における呼称のの語源となった。<!--「支那」の語源は梵語のようですよ-->


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2009年8月6日 (木) 11:11時点における版

エリュトゥラー海案内記』 (エリュトゥラーかいあんないき、ラテン語:Periplus Maris Erythraei、英: Periplus of the Erythraean Sea)は、古代のインド洋近辺における南海貿易について記された航海案内書。

ギリシア語で著述されている。紀元後40年から70年ごろに成立したと推定され、著者はエジプトに住んでいたギリシア人航海者であったと言われる。「エリュトゥラー」(ερυθρα) とはギリシア語で「赤」の意味。すなわち、「エリュトゥラー海」とは紅海のことを指す。ただし、古代においては、紅海、アラビア海、ベンガル湾、インド洋を含めた海のことを広く指していた。

この書は、インド洋に吹く季節風を利用した遠洋航行を行う貿易業者のために書かれた。当時、インド洋においては、ローマ帝国と南インドのサータヴァーハナ朝の間で季節風貿易が行われており、そのためこの書には航海の状況のみならず、各港での貿易品や各地の特産品などについての記述も詳しい。アラビアから東南アジアにいたるまで広い範囲をカバーしているため、1世紀ごろのインド洋周辺という、情報の少ない地域・時代の様相を知るための貴重な史料である。

『エリュトゥラー海案内記』に見られる地域は以下のとおり。

中国について、「」の名にもとづいて Cina (チナ)という呼称で紹介し、ヨーロッパ各地における呼称のの語源となった。

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