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ハンガリー人の母マリア・アレクサンドラ・ガスミッツと[[アメリカ陸軍]]下士官でアフリカ系アメリカ人ハーマン・ワッツの息子として[[ニュルンベルク]]に生まれる。幼少の頃に母親から音楽の手ほどきを受け、[[フィラデルフィア]]音楽院でピアノを専攻。 |
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9歳で[[フィラデルフィア管弦楽団]]とハイドンのピアノ協奏曲を弾いて脚光を集めた。1963年に[[レナード・バーンスタイン]]率いる[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]と共演して[[フランツ・リスト]]の[[ピアノ協奏曲第1番]]を演奏し、一躍時の人となった。また、この年にはピーボディ音楽院に入学して[[レオン・フライシャー]]の薫陶を受けている。 |
9歳で[[フィラデルフィア管弦楽団]]とハイドンのピアノ協奏曲を弾いて脚光を集めた。1963年に[[レナード・バーンスタイン]]率いる[[ニューヨーク・フィルハーモニック]]と共演して[[フランツ・リスト]]の「[[ピアノ協奏曲第1番 (リスト)|ピアノ協奏曲第1番]]」を演奏し、一躍時の人となった。また、この年にはピーボディ音楽院に入学して[[レオン・フライシャー]]の薫陶を受けている。 |
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在学中の1964年から1965年にかけてヨーロッパ遠征を行い、[[ロンドン交響楽団]]や[[アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団]]と共演して好評を得た。1967年には[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]の定期演奏会に出演している。初来日 |
在学中の1964年から1965年にかけてヨーロッパ遠征を行い、[[ロンドン交響楽団]]や[[アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団]]と共演して好評を得た。1967年には[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]の定期演奏会に出演している。1969年に初来日。 |
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2009年7月3日 (金) 21:51時点における版
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
アンドレ・ワッツ(André Watts, 1946年6月20日 - )は、ドイツ生まれのアメリカのピアニスト。
ハンガリー人の母マリア・アレクサンドラ・ガスミッツとアメリカ陸軍下士官でアフリカ系アメリカ人ハーマン・ワッツの息子としてニュルンベルクに生まれる。幼少の頃に母親から音楽の手ほどきを受け、フィラデルフィア音楽院でピアノを専攻。
9歳でフィラデルフィア管弦楽団とハイドンのピアノ協奏曲を弾いて脚光を集めた。1963年にレナード・バーンスタイン率いるニューヨーク・フィルハーモニックと共演してフランツ・リストの「ピアノ協奏曲第1番」を演奏し、一躍時の人となった。また、この年にはピーボディ音楽院に入学してレオン・フライシャーの薫陶を受けている。
在学中の1964年から1965年にかけてヨーロッパ遠征を行い、ロンドン交響楽団やアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と共演して好評を得た。1967年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に出演している。1969年に初来日。