「ノート:ヤマト王権」の版間の差分

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:2004年あたりからのものをさらっと集めてみましたが、使われているかどうかで言えば「使われている」と言えるでしょうね。大芝英雄の[http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E5%A4%A7%E8%8A%9D%20%E8%8B%B1%E9%9B%84 「豊前王朝―大和朝廷の前身」](2004)、安本の[http://www.bk1.jp/product/02574320 大和朝廷の起源](2005)、上田正昭の[http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%9C%9D%E5%BB%B7%E2%80%95%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E3%81%AE%E6%88%90%E7%AB%8B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%8A%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E6%98%AD/dp/4061591916/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1244443758&sr=8-1 大和朝廷―古代王権の成立]、元東京都教育委員会指導主事の[http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%AD%E3%82%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA%E3%81%B3%E3%81%A8%E3%81%A8%E6%96%87%E5%8C%96%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%80%882%E3%80%89%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%9C%9D%E5%BB%B7%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A-%E5%A4%A7%E5%92%8C~%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%99%82%E4%BB%A3-%E5%8F%A4%E5%B7%9D-%E6%B8%85%E8%A1%8C/dp/4751525727/ref=sr_1_16?ie=UTF8&s=books&qid=1244443978&sr=8-16 大和朝廷の国づくり](2009)、武光誠の[http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8D%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%AC%8E%E2%80%95%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%9C%9D%E5%BB%B7%E3%81%8B%E3%82%89%E7%B5%B1%E4%B8%80%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%B8-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%AD%A6%E5%85%89-%E8%AA%A0/dp/4569665799/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1244443978&sr=8-2 「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ](2006)、[http://kids.gakken.co.jp/jiten/7/70012530.html 学研辞書]、[http://www.city.kitakyushu.jp/file/51051000/rekisibunka/mojinorekisi/03_yamato.pdf 北九州市の歴史説明]などなど。この他にもshimoxx氏が仰っているように、「学習指導要領」や高森も使っています。さてこうした中で「かつて使われていた」との過去形があっているのでしょうか。「~などの学者の間では大和王権という呼称が使われている」と出典と共に主語を付けて記載する必要があるでしょうし、大和朝廷が「かつて使われていた」ではなく、現在も使われていますので「大和朝廷とも呼ばれる」という記載法が正しいことは一目瞭然ではないでしょうかね。--[[特別:投稿記録/220.147.34.22|220.147.34.22]] 2009年6月8日 (月) 07:21 (UTC)
:2004年あたりからのものをさらっと集めてみましたが、使われているかどうかで言えば「使われている」と言えるでしょうね。大芝英雄の[http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E5%A4%A7%E8%8A%9D%20%E8%8B%B1%E9%9B%84 「豊前王朝―大和朝廷の前身」](2004)、安本の[http://www.bk1.jp/product/02574320 大和朝廷の起源](2005)、上田正昭の[http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%9C%9D%E5%BB%B7%E2%80%95%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E7%8E%8B%E6%A8%A9%E3%81%AE%E6%88%90%E7%AB%8B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%8A%E7%94%B0-%E6%AD%A3%E6%98%AD/dp/4061591916/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1244443758&sr=8-1 大和朝廷―古代王権の成立]、元東京都教育委員会指導主事の[http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%AD%E3%82%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%BA%E3%81%B3%E3%81%A8%E3%81%A8%E6%96%87%E5%8C%96%E9%81%BA%E7%94%A3%E3%80%882%E3%80%89%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%9C%9D%E5%BB%B7%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A-%E5%A4%A7%E5%92%8C~%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%99%82%E4%BB%A3-%E5%8F%A4%E5%B7%9D-%E6%B8%85%E8%A1%8C/dp/4751525727/ref=sr_1_16?ie=UTF8&s=books&qid=1244443978&sr=8-16 大和朝廷の国づくり](2009)、武光誠の[http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8D%E8%AA%95%E7%94%9F%E3%81%AE%E8%AC%8E%E2%80%95%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%9C%9D%E5%BB%B7%E3%81%8B%E3%82%89%E7%B5%B1%E4%B8%80%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%B8-PHP%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%AD%A6%E5%85%89-%E8%AA%A0/dp/4569665799/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1244443978&sr=8-2 「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ](2006)、[http://kids.gakken.co.jp/jiten/7/70012530.html 学研辞書]、[http://www.city.kitakyushu.jp/file/51051000/rekisibunka/mojinorekisi/03_yamato.pdf 北九州市の歴史説明]などなど。この他にもshimoxx氏が仰っているように、「学習指導要領」や高森も使っています。さてこうした中で「かつて使われていた」との過去形があっているのでしょうか。「~などの学者の間では大和王権という呼称が使われている」と出典と共に主語を付けて記載する必要があるでしょうし、大和朝廷が「かつて使われていた」ではなく、現在も使われていますので「大和朝廷とも呼ばれる」という記載法が正しいことは一目瞭然ではないでしょうかね。--[[特別:投稿記録/220.147.34.22|220.147.34.22]] 2009年6月8日 (月) 07:21 (UTC)

::中立的な観点に基づくならば、「ごく一部で大和朝廷とも呼ばれる」あたりが落としどころではないかと思います。近年発表された論文を数十本ほどお読みいただければ御理解いただけるでしょう。--[[利用者:Shimoxx|shimoxx]] 2009年6月8日 (月) 14:41 (UTC)

2009年6月8日 (月) 14:41時点における版

「大和王権」にでも「このページを移動する」した方がよいでしょうか?
当時(4世紀頃~飛鳥時代)の支配体制については、便宜上「朝廷」と呼ぶ場合がありますが、厳密には「朝廷」と言える形の体制ではなかったと思うので。
ちなみに、もっっと厳密に言えば「ヤマト」なのでしょうけど、私としては、一般の人が地名と一致しやすい「大和」を希望します。
- Gombe 08:57 2004年1月29日 (UTC)

実際そのように編集を加えられた方が登場しましたね。そういうわけで、「大和朝廷」から「大和王権」へ移動しました。 - Gombe 03:32 2004年3月8日 (UTC)

項目名移動の提案

非常に心苦しくはあるのですが、「大和王権」→「ヤマト王権」への移動を提案します。理由は、本文にもあるとおり、「大和」の語が不適切とされているからです。中には「大和王権」を主張される研究者も少数おられますが、研究者の大勢は「ヤマト」の語を使用しており、百科事典としては、より厳密な表記とするべきと考えます。ご異論がなければ、1週間経過した8月24日以降に移動作業(+リンク元修正)を行うつもりですが、できればご意見(賛成でも反対でも)を頂いた上で作業にかかりたいと考えています。shimoxx 2005年8月17日 (水) 14:24 (UTC)[返信]

遅くなりましたが、賛成します。--shikai shaw 2005年11月9日 (水) 12:46 (UTC)[返信]
3ヶ月程待ってみましたが、ご賛同はありつつも反対意見がありませんでしたので、「ヤマト王権」へ移動しました。--shimoxx 2005年12月2日 (金) 15:56 (UTC)[返信]

大和朝廷の項目がここに飛ばされるのはおかしいので新たにコンテンツを作成します。(YOSSY)

う~ん、ヤマト王権とは別に大和朝廷が存在していたというご趣旨なのでしょうか。。。古墳期から飛鳥期にかけて倭国の中枢を担っていた政治勢力について、大昔はこれを大和朝廷と呼んでいましたが、今ではヤマト王権と呼ぶのが一般的となっています。中には今でも大和朝廷と呼ぶ研究者もおられますが、非常に限定的です。大和朝廷とヤマト王権とは別々の概念ではなく、研究の進展に伴う呼称の変遷であると言えますから、新たに大和朝廷の項目を立てる必要はないと思われます。もしよろしければ[1]がご参考になるかも知れません。--shimoxx 2006年2月6日 (月) 15:06 (UTC)[返信]

しかし、私はまだあまりヤマト王権という呼び方はあまり広まってないように思えます。実際、今の社会の教科書は大和朝廷とかかれています。しかし、大和朝廷という呼び方はやはり本文にもあるように不適切だと思うのでヤマト政権という項目名にするのがよいと思います。--以上の署名のないコメントは、218.219.219.24会話/Whois)さんが 2007年6月7日 (木) 22:56(JST) に投稿したものです。

ヤマト王権が広まってないという典拠は?山尾幸久氏の「ヤマト王権」項(『日本古代史研究事典』東京堂出版)や吉村武彦氏の『古代史の基礎知識』(角川選書)では、「ヤマト王権」という表記を採用すべき理由が書かれています。もっとも、他の研究者たちも他の表記(倭王権、大和政権など)を使用していますので、「ヤマト王権」表記が絶対的という訳ではありませんが、山尾氏・吉村氏という代表的な古代史研究者が相揃って提唱しておられることから、ひとまずのところは項目名を「ヤマト王権」としておくのが一番良いだろうと思います。
「ヤマト王権」→「ヤマト政権」→「ヤマト国家」という時代区分論、政治形態移行論とも絡んでくるので、本当は奥の深い難しい話ではあるのですが、話も長くなりますし、とりあえずここまでにしときます。-shimoxx 2007年6月15日 (金) 18:02 (UTC)[返信]

大和朝廷でいいと思います。一部の人の思想?に偏ってる気がします--以上の署名のないコメントは、210.252.203.158会話/Whois)さんが 2007年8月31日(金)11:21(JST) に投稿したものです。

現今、大和朝廷を使用する研究者はほとんどおられず、ヤマト王権なり倭王権なりを使用する研究者の方が圧倒的に多数派です。むしろ大和朝廷を採用することの方が、一部の人の思想に偏ってしまうことをどうぞご理解願います。shimoxx 2007年8月31日 (金) 15:31 (UTC)[返信]

そうですか?色々な本を図書館で読んでも大和朝廷という言葉が圧倒的に多いんですが・・。ヤマト王権なんて書いてある書物を探すほうが苦労しました。--以上の署名のないコメントは、210.252.201.55会話/Whois)さんが 2007年9月16日 (日) 21:05(JST) に投稿したものです。

そうですよ。図書館に置いてある日本古代史の本もですね、信頼できる研究者が書いたものからほとんど素人が書いたものまで玉石混交なわけでして、特に古代史は素人の方の手になる書籍が非常に多い分野です。信頼できる情報源として扱えるのは研究者による文献になる訳ですけれども、それらの文献に当たれば、研究者の間では「ヤマト王権」「倭王権」などの用語が一般的であり、大和朝廷を採る研究者は若干名にとどまっていることがわかります。--shimoxx 2007年9月16日 (日) 15:42 (UTC)[返信]
横から失礼。wikipedia執筆のために図書館へ通っていて感じるのですが、公共図書館でも県立図書館レベルと市立図書館レベルでは、置いてある本の質が異なります。県立図書館レベルでは置いてある本も新しいし、学術的なものが多いです。対して市立図書館あたりですと、あんまり新しい本はフォローしていなくて、さらに俗っぽい読み物的な本が多いような印象を受けます。おそらく県立図書館レベルで文献を参照すれば、ヤマト王権の用語が多く見られるんじゃないかと思うのですが。--でここ 2007年9月18日 (火) 05:56 (UTC)[返信]

一部の研究者が使ってるから、「ヤマト王権」にするっておかしいですよ。研究者の多くが現在は使っているという根拠はどこにあるのですか?それがしっかり証明できないなら、「大和朝廷」にするべきです。「大和朝廷」が現在の日本人には一般的に知られてる言葉であり、一部の研究者が使ってるからといって「ヤマト王権」とするのは不自然だと思います。--以上の署名のないコメントは、218.218.56.47会話/Whois)さんが 2007年9月18日(火)22:29(JST) に投稿したものです。

いえいえ、全然おかしくないですよ。「ヤマト王権」にしても「大和朝廷」にしても歴史学上の概念です。であればWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないに基づき、現在の古代史研究者の使用状況を考慮することは、信頼できる百科事典を作っていく上でむしろ必要不可欠なことです。かつては「大和朝廷」が多く使用されていましたが、おおよそ1980年代以降は「ヤマト王権」「倭王権」「大和王権」が使用され、「大和朝廷」を使用する研究者はほとんどいません。
古代史研究者の使用状況を見てみますと、吉田孝氏は「倭王権」、鈴木靖民氏は「大和王権」「倭王権」、倉本一宏氏は「大和王権」、山尾幸久・吉村武彦・白石太一郎・熊谷公男・仁藤敦史・舘野和己・小林敏男各氏は「ヤマト王権」をそれぞれ使っています。各氏の論文を是非ご一読ください。いずれも共通しているのは「王権」という用語を使用している点です。3世紀後半から6世紀までの政治権力を「朝廷」と呼ぶことは不適当とされ、「王権」と呼ぶのが妥当とされています(この当たりの事情については例えば『週刊朝日百科 日本の歴史41』1-250ページや『新体系日本史1 国家史』(山川出版社)12ページなどをご参照ください)。逆に「大和朝廷」を使用しているのは、管見の限り高森明勅氏だけです。
「大和朝廷」がたとい人口に膾炙していても、それは単にかつての古い学説が残存していることの反映に過ぎません。古代史を含む日本史研究は1980年代以降、飛躍的な進展を遂げていますが、その進展の成果はまだ人々に広く知られてはおらず、とうの昔に否定された学説がまだ人々の間に残っているという状況が続いています。より正確な知識を人々に提供する、という百科事典の役割を考え合わせて見ますと、現在古代史研究で主に使用されている「ヤマト王権」を採用することが、客観的に見て現時点でのベターな判断だと言えるでしょう。
申し上げにくくはありますが、218.218.56.47さんのご主張には裏付けとなる根拠がなく、個人的なご見解であるように思われます。ですので、これ以上この議論を続けることに意味を見出すことは困難だと考えています。古代史研究において「大和朝廷」の使用が主流である事実をもし見つけられましたら、再度、疑義をご提起くださいまし。--shimoxx 2007年9月18日 (火) 15:22 (UTC)[返信]
研究者の多くが、「王権」を使っていることは理解できました。ありがとうございます。しかし、朝鮮半島まで勢力を伸ばしていた倭が王権なのですかね?百済や新羅は国と言われてのに(広開土王碑には百済や新羅を臣民にしたとまで書かれているし、少なくとも倭はかなりの勢力だった)。国に一目置かれる王権ですか・・。強いだけじゃ国にはならないのでしょうが、そのまとまりを考えると朝廷くらいは言って良いと個人的には思います。そもそも「朝廷」という言葉の定義だって「天子が政治を行う機関」であり、「政治」とは「主権者が、領土・人民を治めること」(大辞泉)であり、当時の倭を見ると朝廷という言葉で間違っていないと思います。考えすぎかもしれませんが、歴史の研究者は朝鮮併合などの反省からなのか、戦前の歴史認識となるべく離れることが有脳とされているのか知りませんが、自国の歴史について韓国におされたり、消極的に表現したり、ということが多すぎる気がしてなりません(例:大和→ヤマトという意味のない変更等)。個人的な意見失礼しました。210.231.2.144 2007年10月6日 (土) 20:55 (UTC)[返信]
日本の歴史学には、韓国や中国におもねってる人々も、戦前の歴史認識に回帰したような人々もそれぞれごく少数いますが、両者とも自国の歴史を必要以上に悪くor良く見ようとし、見たくないものを見ようとしない点で一致しています。幸いにして日本の歴史学は偏った姿勢とは無縁の人々が大多数を占めています。ヤマト王権の呼称もプレーンな歴史研究から生まれてきたものなのです。--shimoxx 2007年10月8日 (月) 08:42 (UTC)[返信]

議論 2009年

適当に節を入れました。もっと適当と思われるところがありましたら、節を作って、編集しやすいようにしませんか。--Godaigo 2009年1月21日 (水) 04:55 (UTC) [返信]

「王権」というのは王の権力、君権です。「朝廷」というのは君主の君権を中心とする中央政府です。コンテンツは分けた方がいいと思います。氏姓制度や律令制度などは王権で公布されますが、朝廷が行った政府としての統治システムですね。--かもめ 2009年1月18日 (日) 16:56 (UTC)[返信]
そのご主張は独自研究ではないですか?どの研究者が述べておられるのか、その主張が学術研究の場でどの程度受容されているのか、根拠をお示しくださいませ。--shimoxx 2009年1月18日 (日) 19:36 (UTC)[返信]
「王権」「朝廷」の意味を辞書で調べられてはどうですか?。「大和朝廷」は学習指導要領でも正式に使用されてる歴史用語です。この学習指導要領は中央教育審議会の地理歴史部会で学者や専門家の意見を入れて様々な答申を経て作成されている訳ですが、これを否定されるのはご自由ですが、このwikipediaにおいてはなじまないのではないですかね?。このノートの議論でもshimoxx様お一人でこだわられてるようですが?。--かもめ 2009年1月19日 (月) 23:18 (UTC)[返信]
念のため、ご返事申し上げます。
辞書で用いられる意味内容と、学術研究の場で用いられる意味内容が一致しないことはままあることで、「王権」「朝廷」もその一つです。これらの語がどのように定義されているかについて、詳しくは吉村武彦氏、大津透氏、吉田孝氏ほかの著作をご参照ください。
「大和朝廷」が学習指導要領で採用されている事実は、学術研究水準と学習指導要領との乖離を示す一例として知られており、少なくとも学術研究の場では「大和朝廷」の語と概念が使用されることはほぼ皆無です。学術研究の成果を取りまとめて叙述するこのウィキペディアでは、学習指導要領を重視することの方がなじまない行為であることをどうかご理解くださいませ。
できましたら、辞書ではなく研究書を数冊ほどご参照された上で、ヤマト王権(ないしヤマト政権、倭王権など)と大和朝廷の関係について議論して頂けると大変ありがたく存じます。--shimoxx 2009年1月20日 (火) 13:57 (UTC)[返信]
指導要領がどうなってるかはわかりませんが、中学の歴史教科書を4冊ほど確認したところ、ヤマト政権、大和政権、ヤマト王権、などバラバラですね。大和朝廷の記述が有るものも有るのですが、有っても併記のような感じですね。山川の高校教科書もヤマト政権です。教科書から記述が無くなった武家造や、無くなっている過程の慶安のお触書のような状況に感じられます。指導要領は別に必ず正しいとは限りませんからねえ、教科書の記述は変わり続けているので・・・--219.4.215.1 2009年1月20日 (火) 19:47 (UTC)[返信]

(インデント戻します。)容喙です。「このノートの議論でもshimoxx様お一人でこだわられてるようですが?。--かもめ 2009年1月19日 (月) 23:18 (UTC)」といわれますが、上の方で「ヤマト王権の用語が多く見られるんじゃないかと思うのですが。--でここ 2007年9月18日 (火) 05:56 (UTC)」と書いておられるお人もおりますので、「お一人で云々」は当たっていないのではないですか。さらに私も(godaigo)も「ヤマト王権(政権)、倭王権など」側へ加えおきください。本来、項目名をどちらにするかの議論は、定義や概念、内容の議論をしてどちらかにするベキなのでしょうが、この用語の場合は、そこまでする必要はないように思います。学術用語が変遷していくのは、研究がそれだけ進み、発展し、それに合致した用語に変わっていくのは致し方のないことではないではないでしょうか。--Godaigo 2009年1月21日 (水) 04:55 (UTC)[返信]

学者が使う用語に統一するならwiki全部学術名や学名に統一するの?なんで大和朝廷じゃないの?--58.90.191.225 2009年2月17日 (火) 15:36 (UTC)[返信]
最初に戻れば、それは当時大和という言葉は無く、朝廷という会議もまだ存在してないからでしょうね。--219.4.215.1 2009年2月23日 (月) 17:07 (UTC)[返信]
58.90.191.225さんの質問に対しては、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源が回答になると思います。ぜひご熟読くださいませ。--shimoxx 2009年2月25日 (水) 14:36 (UTC)[返信]
「大和朝廷」という一般的に知られた用語で、誤用でも信頼できないわけでも独自研究でもなく、実際に広く使用されており、かつ「大和朝廷」の項目のノートで議論された様子もないのに、ここに強制的にREDIRECTさせるのは、誰がどういう権限でやってるのか?。このノートにもあるように「大和朝廷」として編集したい人が大勢いるのに、その権利を奪う資格が誰にあるのか?--60.44.235.186 2009年2月27日 (金) 12:23 (UTC)[返信]
3~4世紀から7世紀頃までの期間に日本列島の主要部を支配していた政治勢力を「大和朝廷」という用語で現すことは、現時点では誤用であり独自研究になってしまいます。古代史研究者が書かれた論文や専門書や概説書を数十本ほど読めば、そのことがご理解頂けるだろうと思います。
ウィキペディアは多くの人々が力を合わせて作り上げる百科事典であり、ごく一部の者だけの専有物でないことは全くそのとおりです。しかし、ウィキペディアはウソを書く場でもありません。「信頼できる研究者」が書いた「信頼できる情報源」に基づいて執筆することがウィキペディアでは求められています。一般に知られているからといって、必ずしも信頼できるワケではないことをどうぞご理解願います。--shimoxx 2009年2月27日 (金) 13:44 (UTC)[返信]

ヤマト王権の勢力図について

uk:Зображення:Yamato.pngImage:WorldMap 90-0-180-90.pngから製作したのですが何か批判批評がありますでしょうか?個人的に九州に存在してた民族がuk:Зображення:Yamato.pngに書かれているのですが読めません。詳しく知っている方フォローをお願いします。--Forestfarmer 2006年12月8日 (金) 11:30 (UTC)[返信]

転換期について

5世紀末から6世紀にかけての王権弱体化の原因について、別の説も紹介しました。また当時、王統の断絶があったかどうかについては論議の的となっている件(継体天皇を参照)なので、一部表現を変えてみました。--のりまき 2008年11月24日 (月) 09:54 (UTC)[返信]

大和朝廷の呼称について

一部の方が「大和朝廷」という呼称を認めない態度に対して、客観的な観点から疑問を感じましたのでタグを張りました。このノートでも何人もの方から疑問がでているようですが、私も同感です。--薔薇騎士団 2009年5月12日 (火) 12:15 (UTC)[返信]

う~ん、信頼できる情報源に多数当たってみるとですね、上に書いたとおり、
吉田孝氏は「倭王権」、鈴木靖民氏は「大和王権」「倭王権」、倉本一宏氏は「大和王権」、山尾幸久・吉村武彦・白石太一郎・熊谷公男・仁藤敦史・舘野和己・小林敏男各氏は「ヤマト王権」をそれぞれ使っています。各氏の論文を是非ご一読ください。いずれも共通しているのは「王権」という用語を使用している点です。3世紀後半から6世紀までの政治権力を「朝廷」と呼ぶことは不適当とされ、「王権」と呼ぶのが妥当とされています(この当たりの事情については例えば『週刊朝日百科 日本の歴史41』1-250ページや『新体系日本史1 国家史』(山川出版社)12ページなどをご参照ください)。逆に「大和朝廷」を使用しているのは、管見の限り高森明勅氏だけです。
という客観的な事実に直面してしまいます。ここウィキペディアでは「中立性」「検証可能性」「独自研究の不含」が求められますから、現状のような記述をせざるを得ないのです。
確かに、既に幾人かの方が疑義を呈されていますが、どなたも明示可能な根拠を欠いてらっしゃいます。どうか、こうした事情をご斟酌いただければ幸いです。--shimoxx 2009年5月12日 (火) 16:58 (UTC)[返信]
まず疑問に思うのは、「王権」という語が一般的な日本語ではないということです。この言葉はここ2、30年で出てきた史学界の造語ではないでしょうか?「王権神授説」での王権は「国王の権力」の意味ですから、ヤマト王権の王権とは意味が違います。次に「朝廷」は、広義には「国王を中心とした政権」という意味でも使います。ですから、「大和朝廷」が不適切という意見は、一面では個人的な語感の問題にすぎないと思います。また、現在でも大和朝廷という語が使われているなら、「かつては・・・使われていた」と過去形で語るのは不適切でしょう。最後に、自然科学と違って人文科学、特に史学、考古学においては「学会の趨勢」というのは、10年単位でころころ変わるような例は多々あります。王権という用語が増えているなら、単に増えているという書き方でいいと思います。今後変わる可能性もありますので。--薔薇騎士団 2009年5月12日 (火) 22:16 (UTC)[返信]
おっと、「王権」ないし「朝廷」の用語について、我々がここで議論してしまうと「独自の研究」になってしまいますよ。我々にできることは、あくまで学術研究の結果をできうる限り公平な形で記事としてまとめること、だけですよね。
今まで、古代国家形成に関する「信頼できる情報源」を何十冊と読んできましたが、「ヤマト王権」をはじめとして「大和政権」「倭王権」などの用語が専ら使用されている一方で、「大和朝廷」は(私の知る限りでは高森氏の著作を除いて)使われておりません。しかも、多くの論者が「『王権(又は政権)』という用語を採用すべき理由」について積極的に言及しています。ですので「王権と言う用語が増えている」という表現では正確性を欠いてしまいます。むしろ「王権(又は政権)の用語しか使われていない」というのが現状なのです。仮に学界の趨勢が将来変わったとしても、その変わったときにウィキペディアの記述を変えればすむ話…でございます。
ところで、「大和朝廷」を使用する研究者が全く皆無でないことに目を向ければ、「『かつては・・・使われていた』と過去形で語るのは不適切」というご意見には全面的に首肯いたします。誤解を生む「かつては・・・使われていた。」の一文を本項冒頭部から消去するということでいかがでしょうか?--shimoxx 2009年5月13日 (水) 17:28 (UTC)[返信]

過去のここでの議論をみると、「ヤマト王権」という用語が専門家以外に必ずしも広まっているとは思えないですね。理由は「王権」という日本語がそもそもおかしいからだと思います。だいたいヤマト王権以外に、王権という語を使うのでしょうか? 殷王権? 周王権? ローマ王権? ウィキペディアは一般の読者が対象ですから、一般の人にも理解しやすい記述を考慮すべきだと思います。--薔薇騎士団 2009年5月13日 (水) 21:05 (UTC)[返信]

「専門家の間では、近年ヤマト王権という語が使われる傾向にあるが、定着しているとは言いがたい。一般には「大和朝廷」がよく知られている。」という文章に改めるのはどうでしょうか。--薔薇騎士団 2009年5月13日 (水) 21:43 (UTC)[返信]
学術書にではなく、文庫や新書で使われている歴史用語を「一般的」といえるとしましょう。そうすると、例えば岸俊男編『日本の古代6 王権をめぐる戦い』中公文庫(1996年)や寺沢薫『日本の歴史02 王権誕生』講談社学術文庫(2008年)では「ヤマト王権」が使われています。他の出版社のものも調べてみますが、一般的といえる文庫や新書に「大和朝廷」が使用されている例を挙げてみませんか。因みに『岩波 日本史辞典』(1999年)には「ヤマト王権」も「大和朝廷」も、どちらの項目もありません。よって、並記のように文章を改めることには反対ですが、「本文」冒頭の「かつて…」の削除には賛成します。--Godaigo 2009年5月14日 (木) 09:16 (UTC)[返信]
たとえばgoogle検索してみると、「大和朝廷」が112,000件、これに対して「ヤマト王権」が42,500件と半分以下のヒットです。国語事典を引いても「王権」という語はありませんし(王権神授説の王権はありますが)、両論併記でかまわないと思いますがいかがでしょうか。--薔薇騎士団 2009年5月14日 (木) 12:29 (UTC)[返信]
なるほど、google検索も「一般的」を説明するのにいい方法ですね。また、「文庫や新書」は一般の読者向けに書かれている書籍であると思いますが、その一般向けに書かれた「文庫や新書」の検索の方もしてみては如何でしょうか。--Godaigo 2009年5月14日 (木) 13:00 (UTC)[返信]
まず一つ、薔薇騎士団さんに指摘申し上げたいのは、「王権」という用語が適切かどうかは研究者が議論すべきことであって、我々がここで議論すべきことではないということです。薔薇騎士団さんが個人的に「王権」の用法に疑義をお持ちだとしても、「ヤマト王権」という用語が学界の主流となっていれば、「中立性」「検証可能性」「独自研究の不載」に基づいて、その事実をたんたんと書くのがウィキペディアの基本方針です。「王権」という用語の不適切性を御主張されるべき場所はここではありません。学界です。学術論文を書いて、学界にその主張を浸透させ、学界の趨勢が変化したならば、しかる後にウィキペディアを書き換えるべきでしょう。これが筋です。
また、google検索は、「何らか」の傾向を掴むことはできますが、既にウィキペディアのあちこちで既に指摘され尽くしてきたように「信頼できる情報源」たり得ません。本項の執筆の出典とはならないことをどうぞ御理解願います。
確かにウィキペディアは一般の方を対象とした百科事典ですので、一般の方々に「現在の研究レベルでは『大和朝廷』という用語・概念はまず使われておらず、『ヤマト王権』『大和政権』『倭王権』などの用語・概念が支配的となっている」ことをわかりやすくお伝えすべきでしょう。現在の記述が、この点への配慮に欠けていたことは認めざるを得ません。
というわけで、「名称について」節を次のように書き換えることを提案いたします。
3世紀から6・7世紀にかけて日本列島の主要部を支配した政治勢力は、通俗的に大和朝廷と呼称されているが、歴史学では、ヤマト王権、大和政権、ヤマト政権、倭国政権、倭王権などと呼ばれている。1960年代以前は、歴史学において大和朝廷の用語が主に使用されていた。しかし70年代になると、当時の政治勢力を説明するには「王権」「政権」の用語が適切であること、「大和」の表記は8世紀中頃に生まれたこと等を理由として、ヤマト王権やヤマト政権等の用語が使用され始め、80年代ないし90年代以降はこれらがもっぱら使用されている。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多数派(山尾幸久、吉村武彦、白石太一郎、熊谷公男、仁藤敦史、舘野和己、小林敏男ら)をなしているが、「大和王権」(鈴木靖民、倉本一宏)、「大和政権」(日本史広辞典等)、「倭王権」(吉田孝、鈴木靖民)等を採る研究者も少なくない。一方、「大和朝廷」を採用する研究者はごく少数(高森明勅ら)にとどまっている。
いかがでしょうか。--shimoxx 2009年5月14日 (木) 14:43 (UTC)[返信]
少し修正してみました。これではどうでしょうか。おおむね過去のノートでの議論の意見を反映していると思います。
3世紀から6・7世紀にかけて日本列島の主要部を支配した政治勢力は、一般には大和朝廷として知られているが、歴史学では、近年、ヤマト王権、大和政権、ヤマト政権、倭国政権、倭王権などと呼ばれている。1960年代以前は、歴史学において大和朝廷の用語が主に使用されていた。しかし70年代になると、当時の政治勢力を説明するには「王権」「政権」の用語が適切であること、「大和」の表記は8世紀中頃に生まれたこと等を理由として、ヤマト王権やヤマト政権等の用語が使用され始め、80年代ないし90年代以降はこれらがもっぱら使用されている。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多数派(山尾幸久、吉村武彦、白石太一郎、熊谷公男、仁藤敦史、舘野和己、小林敏男ら)をなしているが、「大和王権」(鈴木靖民、倉本一宏)、「大和政権」(日本史広辞典等)、「倭王権」(吉田孝、鈴木靖民)等を採る研究者も少なくない。一方、「大和朝廷」を採用する研究者はごく少数(高森明勅ら)にとどまっている。もっとも「王権」という語は、国語辞典にも記載されてない史学界による造語であり、一般への認知度は低く40年近く経過した現在でも普及しているとは言い難い。また、学習指導要領では「大和朝廷」も用いられているので、大和朝廷という呼称が間違っているというわけではない。--薔薇騎士団 2009年5月14日 (木) 22:54 (UTC)[返信]
ご返事どうもありがとうございます。議論が前進していることを嬉しく思います。
さて、薔薇騎士団さんのご提案について、数点ほど指摘申し上げます。
一つ目は、「王権」の語が薔薇騎士団さんご所有の国語辞書に載っていないことは事実でしょうが(ちなみに王権は一般的な百科事典ならほぼ掲載している用語です。)、「史学界による造語」「一般への認知度は低い」「普及しているとは言い難い」との記述は、根拠文献をご明示いただかない限り、独自の研究の域を出ませんし、中立的な観点検証可能性に抵触していると言わざるを得ません。
また、学習指導要領が大和朝廷を採用していることは事実ですが、「大和朝廷の呼称が間違っているわけではない」という記述につきましても、根拠文献がない限り、独自の研究になってしまいます。よもすれば、(A)学習指導要領は文部科学省が制定する権威ある教育基準だ、(B)ゆえに学習指導要領に採用されている大和朝廷の用語は不適切なものではない、という論法が成立しそうに思えますが、これは残念ながら特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触してしまいます。
さて、今回のご提案を受けて、私の先の提案を一部修正いたします。学習指導要領が大和朝廷を採用しているという重要な記述を漏らしておりました。この記述を節の末尾に加えることでいかがでしょうか。--shimoxx 2009年5月15日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
付言いたしますと、本議論の冒頭で「一部の方が『大和朝廷』という呼称を認めない態度」というご指摘がありましたが、私個人が「大和朝廷」を認めないのではございません。ここは誤解しないでいただきたいです。ウィキペディア執筆に際して依拠すべき信頼できる情報源たちが軒並み「大和朝廷」を採用していないだけのことなのです。私個人は「大和朝廷」にも「ヤマト王権」にも、いずれにも特に思い入れはありません。ただ単にウィキペディアの基本方針に従って書いているのであり、基本方針から外れた編集を修正しているだけでございます。どうぞご理解願います。--shimoxx 2009年5月15日 (金) 15:47 (UTC)[返信]
いままでの議論をみてきますと、「ヤマト王権」が"正しく"、「大和朝廷」が"間違っている"のではなく、つまり正否の議論ではなく、どちらがより「ふさわしいか」ということではないでしょうか。あと学習指導要領はなにゆえ「信頼すべき情報源」ではないのでしょうか? あとShimoxx氏の「独自研究」の定義づけは、通常のWikipediaの編集の大半を不可能にするような過激な定義だと思います。そのような厳密な検証をWikipediaがすべての編集において要求しているとは思えません。--薔薇騎士団 2009年5月16日 (土) 22:05 (UTC)[返信]
「どちらがより『ふさわしいか』」を判断する基準は、信頼できる情報源にあるとするのがウィキペディアの方針です。学習指導要領は、当然、信頼できる情報源の一つです。もちろん他にも古代史の学者が書かれた信頼できる情報源が多数あります。それらを俯瞰してみると、大和朝廷を使用する者が非常に少数派であることに気付きます。中立的な観点には次のように書いています。
(以下引用)複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。(引用ここまで)
また、独自研究についてですが、独自研究は載せない検証可能性中立的な観点をお読みくださいという他ございません。ウィキペディアは厳密な検証を求めています。現実には、この基本方針に沿ってない記述がウィキペディアに多数ありますが、だからといって、基本方針に外れた編集を看過して良いわけではありません。薔薇騎士団さんが貼られた「観点テンプレート」は、まさに基本方針の遵守を求めるものでもございます。基本方針へのご理解をどうぞよろしくお願い申し上げます。--shimoxx 2009年5月17日 (日) 13:40 (UTC)[返信]
おおむねShimoxxさんの意見は理解できましたので、編集をお任せします。よろしくお願いします。--薔薇騎士団 2009年5月18日 (月) 13:20 (UTC)[返信]
了解いたしました。上にワタシの案を示していますが、薔薇騎士団さんとの議論を踏まえ、誤解を生まないような表現と内容にするよう努めたいと思います。--shimoxx 2009年5月22日 (金) 14:40 (UTC)[返信]
既述の「一般向けに書かれた文庫や新書」に「ヤマト王権」や「大和朝廷」の用語がどの程度使用されているかということの続きですが、網野善彦著『日本社会の歴史(上)』岩波新書(1998年)には「首長連合」「大和政権」、白石太一郎『古墳とヤマト政権』文春新書(2004年)、森浩一『巨大古墳』講談社学術文庫(2000年)には「大和朝廷、大和(ヤマト)政権あるいは河内王権、河内王朝など名称はさまざまだが」、上田正昭『大和朝廷』角川新書(1967年)のなかで河内王朝、三輪王朝などの用語が使われています。概観すると古墳時代における政権・政治史の研究が進み、「朝廷」「王朝」の用語より「王権」とよぶほうがその形態を説明するのに相応しいと変遷してきたようです。なお「名称について」という節名ではなく「名称の変遷」として、学史的記述にするのがいいと思います。そうすると大和朝廷とヤマト王権の両方を既述できるでしょう。因みに「内廷」とは宮殿と付属施設をいい、「外廷」は内廷の周辺役所群をいい、これら二つを合わせて「朝廷」「朝庭」といっています。「朝廷」に相応しい遺構は、現在では天武朝の飛鳥浄御原宮に始まるのではないかといわれています。古墳時代に「朝廷」というほど組織・機構が整備されていなかったのです。つまり研究が進んでいなかった段階では大和・畿内連合の政権を「朝廷」という用語で言い表していましたが、その用語が相応しくなく(はっきり言うと誤りであった)、古墳時代の政権の形態を言い表すのに最も相応しいと考えられる「王権」が使われるようになったということです。相応しくないよう語を使用する必要はないと考えます。先にも述べましたが節名を学史の変遷を書くようにすると両方の用語が書かれるようにする方法もありますが。--Godaigo 2009年5月16日 (土) 12:51 (UTC)[返信]
朝廷は語源的には確かに「宮殿」の構造に由来してますが、大和朝廷という言葉を使う研究者は何も一々古代の宮殿構造に言及してこの語を使っているわけではないでしょう。--薔薇騎士団 2009年5月16日 (土) 22:05 (UTC)[返信]
「内廷」と「外廷」とが整備されてはじめて「朝廷」といい、中央・地方行政組織が成立し、国家が形成された段階です。この段階では天皇が統治し、「飛鳥の朝廷」とか「大和朝廷」とか呼ばれました。しかし、古墳時代には「大王」が統治しましたし、中央・地方行政組織は整備されていませんでしたし、「内廷」と「外廷」が区別されず、未発達な統治機構であり、国家という段階にはまだ至っていませんでした。だので、政権の形態に合わせて、国家らしき政治組織が創り上げられている段階を「朝廷」と呼称し、未発達の政治組織の政権を「王権」と呼ぶようになったと思います。つまり、天皇の統治する国家と大王が統治する政権を区別して表しているのでしょう。
政治形態の研究、古代国家の形成・成立過程の研究の進歩・発展によって、政権の状態の段階に相応しい、または区別すべきという観点から「朝廷」でなく「王権」という呼称になったと思います。古墳時代の政権を呼称するのに「朝廷」は相応しくない、または、誤りであると思います。--Godaigo 2009年5月18日 (月) 09:10 (UTC)[返信]
朝廷が相応しいかどうかは、ここで議論する問題ではないですね。実際「大和朝廷」を用いている研究者もいるわけですし、学習指導要領にも記載されているわけですから。大体、今日朝廷と聞いて外廷、内廷を想起する一般の人がどれだけいるのか疑問ですが、とりえあずバランスに配慮した編集を希望します。--薔薇騎士団 2009年5月18日 (月) 13:18 (UTC)[返信]
「相応しいかどうか」ではなく、古墳時代の大王が統治する古代国家形成期と天皇が統治する律令制国家とは、当然、政権の状態・内容が違うわけですから、研究者は状態・内容の違う政権を同一の名称を使うことの間違いを質したのです。「朝廷」は後の時代の呼称であって、大王の統治する政権は「王権」という呼称が適切なのです。大王が統治する政権を「朝廷」と言い表す研究者は、今までの議論を通してもほとんどいないということが指摘されています。学習指導要領については、すでに「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触してしまいます。」と指摘されています。次ぎに、「一般の人がどれだけいるか…」についても、すでに「一般向けに書かれた文庫や新書」では、「ヤマト王権」の名称が圧倒的に多く使用していることが指摘されています。だからバランスの問題などではなくて「大和朝廷」と呼べるのは「飛鳥の朝廷」ぐらいであって、古墳時代の政権の呼称は「ヤマト王権」なのです。--Godaigo 2009年5月19日 (火) 12:24 (UTC)[返信]
日本の皇室は普通に大和朝廷を使用しています、(皇太子殿下記念講演より)--220.105.246.229 2009年5月31日 (日) 11:37 (UTC)[返信]

大和朝廷の呼称について 200906

少なくとも現在も使われている言葉ですので、「かつては大和朝廷(やまとちょうてい)という呼称が用いられていた」という過去形にしているのは完全な間違いですね。「大和朝廷とも呼ばれる」が正しい表現でしょうね。--220.147.35.84 2009年6月7日 (日) 17:57 (UTC)[返信]

「少なくとも現在も使われている言葉ですので…」の誰でもが検証できる出典であり、十分に信用のおける出典を出してください。なお、IPで議論なさるのは如何なものかと思います。さらにお聞きしたいのですが、今までの議論を精読しての書き込みでしょうか。--Godaigo 2009年6月8日 (月) 00:09 (UTC)[返信]
では、その後に続く「学習指導要領には大和朝廷の表記が見られる」と矛盾が生じているのですが、どうお考えなのでしょう。過去形にするならばするでその出典を、しないならばその出典を提示する必要がありますが、どちらもない状態であり、文に矛盾も生じていてる状態である。早急に直してください。--220.147.34.22 2009年6月8日 (月) 06:10 (UTC)[返信]
繰り返しになりますが、「学習指導要領については、すでに『特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触してしまいます。』と指摘されています。」学習指導要領で使用されているからと言う一事をもって全てを判断するのは差し控えていただきたいものです。一事をもって憶測が許されるのであれば、ついこの間まで議論していた方と今度のIPさんのCUをお願いしたいものですがいかがでしょうか。それから、「IPで議論すること」や「今までの議論を精読したでしょうか」については如何でしょうか。--Godaigo 2009年6月8日 (月) 12:16 (UTC)[返信]
ん?何も私は「学習指導要領」をもとに記事名を変えろと言ってませんよね?冒頭では「かつては大和朝廷(やまとちょうてい)という呼称が用いられていた」と過去形にし、大和朝廷という語が現在は使われていない書き方がなされてありながら、その後、「学習指導要領には大和朝廷の表記が見られる」と現在も使われている書き方がされている矛盾を指摘しているのですが、ご理解できますでしょうか。以下に示しているように現在も「大和朝廷」という語は使われているのですから、そのように訂正するのが正しい方法では?(こちらでは議論にIPで出てしまったので、この東京ニフティIPで一貫させていただきます。アカウントとIPはCUできないことをまず知っていただきたいということと、ここのノートに私はアカウントで出たことはないのでご安心ください。)--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 14:02 (UTC)[返信]
何か勘違いしていませんか。それとも撹乱ですか。私は、記事名を変える事などに触れていませんよ。触れているのであれば、その箇所を指摘してください。続いて、「繰り返しになりますが、~差し控えていただきたいものです。」を精読してください。CUが出来ないのではなく、アカウントとIPが同一という事になるとアカウントのIPが晒されることになるのでプライバシーの観点からCUをしないと言うことのようです。出来ないのではありません。「IPが出てしまいました」とは都合いいことですね。話題の中心をずらす、都合のいいことだけを言うのは、よく似ています。
「発表済みの情報の合成」などという意味不明なリンクを急に出されていたので、てっきり「学習指導要項」をもとに記事名変更を私が求めていると勘違いなされていると思ったのですが、違ったのですか。私の主張はどう見ても一貫していると思うのですが・・・。現在も用いられている用語ですので使われてない過去のもの的な書き方は間違いであり、「矛盾した書き方はやめましょう」という当たり前のことなんですけどね。何ら困ることもない事実に則した提案ですが、何に抵抗されているのか不明です。--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 14:39 (UTC)[返信]
2004年あたりからのものをさらっと集めてみましたが、使われているかどうかで言えば「使われている」と言えるでしょうね。大芝英雄の「豊前王朝―大和朝廷の前身」(2004)、安本の大和朝廷の起源(2005)、上田正昭の大和朝廷―古代王権の成立、元東京都教育委員会指導主事の大和朝廷の国づくり(2009)、武光誠の「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ(2006)、学研辞書北九州市の歴史説明などなど。この他にもshimoxx氏が仰っているように、「学習指導要領」や高森も使っています。さてこうした中で「かつて使われていた」との過去形があっているのでしょうか。「~などの学者の間では大和王権という呼称が使われている」と出典と共に主語を付けて記載する必要があるでしょうし、大和朝廷が「かつて使われていた」ではなく、現在も使われていますので「大和朝廷とも呼ばれる」という記載法が正しいことは一目瞭然ではないでしょうかね。--220.147.34.22 2009年6月8日 (月) 07:21 (UTC)[返信]
中立的な観点に基づくならば、「ごく一部で大和朝廷とも呼ばれる」あたりが落としどころではないかと思います。近年発表された論文を数十本ほどお読みいただければ御理解いただけるでしょう。--shimoxx 2009年6月8日 (月) 14:41 (UTC)[返信]