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*元禄3年([[1690年]])12月26日、従四位下・侍従となり、京都所司代に転ずる。
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2005年5月30日 (月) 05:49時点における版

松平 信興まつだいら のぶおき寛永7年8月11日1630年9月17日) - 元禄4年閏8月12日1691年10月3日))は、江戸時代若年寄大坂城代京都所司代

松平信綱の五男、母は井上正就の長女。従四位下、侍従。はじめ美濃守、後に因幡守と改める。

長らく雑兵物語の作者に擬せられてきたが、実際の作者は不詳である。

  • 寛文2年(1662年)4月18日、兄輝綱より、新田五千石を分与される。
  • 延宝7年(1679年)7月10日、若年寄に任ぜられる。1万2千石を領し、大名に列する。
  • 天和2年(1682年)2月19日、2万2千石をもって土浦藩主となる。
  • 貞享4年(1687年)10月13日、1万石を加増され大坂城代となる。
  • 元禄3年(1690年)12月26日、従四位下・侍従となり、京都所司代に転ずる。