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作風はマヌエル・ポンセなどの国民楽派の作曲家と共通するものがあり、さらに宗教的な要素が加わっている。
作風はマヌエル・ポンセなどの国民楽派の作曲家と共通するものがあり、さらに宗教的な要素が加わっている。


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2008年11月8日 (土) 07:31時点における版

ミゲル・ベルナル=ヒメネスMiguel Bernal Jiménez1910年2月16日 - 1956年7月26日)はメキシコ作曲家オルガニスト音楽学者

ミチョアカン州モレリア出身。7歳の時から聖歌隊に入って音楽教育を受ける。その才能が認められ、1928年ローマの教皇庁宗教音楽研究所に入学し、オルガン対位法フーガ音楽学作曲和声グレゴリオ聖歌を学んだ。2年後に卒業し、グレゴリオ聖歌の博士号を得、作曲家・オルガン奏者として活動を始めた。

1933年にモレリアの宗教高等学校の校長となり、さらに宗教音楽に関する雑誌を発行するなどの活動を行った。またマヌエル・ポンセシルベストレ・レブエルタスと親交を持ち、国際的に認知され、作品の多くがスペインで初演された。

1944年にはモレリア少年合唱団を設立し、翌年にはローサス音楽院の校長となった。その後、1956年の死までニューオーリンズロヨラ大学の音楽学部長を務めた。

重要な作品には現地の赤十字の委嘱による『モレリアの夜』(1941)があり、カルロス・チャベスの指揮によって初演された。また交響詩曲『メキシコ』(1946)は国民楽派の代表作とみなされている。他に『オルガンとオーケストラのためのコンチェルティーノ』(1949)、交響曲『イダルゴ』(1953)などがある。

作風はマヌエル・ポンセなどの国民楽派の作曲家と共通するものがあり、さらに宗教的な要素が加わっている。