「ハンス・ブルクマイアー」の版間の差分
en:Hans Burgkmair 2008-9-23 22:33 UTC 著者:Magnus Manske, DanielCD, Kelisi, Bluebot, Johnbod他から翻訳(de:Hans Burgkmair der Ältere,en:Martin Schongauerも参照) |
m →生涯: マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)と表記を統一 |
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[[Image:Theuerdank.118a.jpg|thumb|left|160px|ブルクマイア画の『Theuerdank』の挿絵]] |
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ホルスタインはブルクマイアーの手になる木版画が全部で834、そのほとんどは本の挿絵で、そうでないものは100ちょっとしかない、とした。その中でとくに優れたものは構成が際だっていて、完全にとはいかないまでもイタリア・[[ルネサンス]]のスタイルとブルクマイアーの根底にあるドイツのスタイルがブレンドされている。[[1508年]]頃からは[[神聖ローマ皇帝]][[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]のために[[木版画]]制作に多くの時間を費やし、それは皇帝の亡くなる[[1519年]]まで続いた。『マクシミリアンの |
ホルスタインはブルクマイアーの手になる木版画が全部で834、そのほとんどは本の挿絵で、そうでないものは100ちょっとしかない、とした。その中でとくに優れたものは構成が際だっていて、完全にとはいかないまでもイタリア・[[ルネサンス]]のスタイルとブルクマイアーの根底にあるドイツのスタイルがブレンドされている。[[1508年]]頃からは[[神聖ローマ皇帝]][[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]のために[[木版画]]制作に多くの時間を費やし、それは皇帝の亡くなる[[1519年]]まで続いた。『マクシミリアン1世の凱旋』と題された135の木版画のほぼ半分は人物を画面いっぱいに描いていて、高い評価を受けた。他には『Weißkunig』と『[[:de:Theuerdank|Theuerdank]]』の挿絵のほとんどを手掛けた。 |
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ブルクマイアーは[[キアロスクーロ#キアロスクーロ版画|キアロスクーロ版画]]の発明者としても重要な人物である。[[1508年]]に最初に1つのトーンブロック(色版)を使った<ref>[http://www.artbma.org/paintedprints/html/pp10.html Emperor Maximilian on Horseback]</ref>。『"死"に驚く恋人たち』([[1510年]])では3つの版木を用いた<ref>[http://www.bodkinprints.co.uk/product.php?id=31 Lovers Surprised by Death]</ref>。ラインブロック(線描画の主版)では満足な仕上がりにならなかったので、最初に色のみで印刷するように設計した。[[ハンス・バルドゥング]]や[[ルーカス・クラナッハ]]による以降のキアロスクーロ版画ではラインブロックも使われるようになった<ref>The Renaissance Print, David Landau & Peter Parshall, Yale, 1996, ISBN 0300068832</ref>。<!--エッチングは息子の作品なので省略--> |
ブルクマイアーは[[キアロスクーロ#キアロスクーロ版画|キアロスクーロ版画]]の発明者としても重要な人物である。[[1508年]]に最初に1つのトーンブロック(色版)を使った<ref>[http://www.artbma.org/paintedprints/html/pp10.html Emperor Maximilian on Horseback]</ref>。『"死"に驚く恋人たち』([[1510年]])では3つの版木を用いた<ref>[http://www.bodkinprints.co.uk/product.php?id=31 Lovers Surprised by Death]</ref>。ラインブロック(線描画の主版)では満足な仕上がりにならなかったので、最初に色のみで印刷するように設計した。[[ハンス・バルドゥング]]や[[ルーカス・クラナッハ]]による以降のキアロスクーロ版画ではラインブロックも使われるようになった<ref>The Renaissance Print, David Landau & Peter Parshall, Yale, 1996, ISBN 0300068832</ref>。<!--エッチングは息子の作品なので省略--> |
2008年10月24日 (金) 08:02時点における版
ハンス・ブルクマイアー(父)(Hans Burgkmair der Ältere, 1473年 - 1531年)は、ドイツの画家、版画家。
生涯
ブルクマイアーはアウグスブルクに画家トマス・ブルクマイアーの子として生まれた[1]。ちなみに、ブルクマイアーの同名の息子も画家である(Hans Burgkmair dem Jüngere、1500年 - 1562年)。1488年、コルマールでマルティン・ションガウアー(Martin Schongauer)の弟子となるが、ブルクマイアーが通常の修行期間を終える前にションガウアーが亡くなってしまった(1491年)。その後、アウグスブルクで仕事をし、1498年には親方となり自分の工房を開いた。1507年にはイタリアを訪れ、そのスタイルに影響を受けた。
ホルスタインはブルクマイアーの手になる木版画が全部で834、そのほとんどは本の挿絵で、そうでないものは100ちょっとしかない、とした。その中でとくに優れたものは構成が際だっていて、完全にとはいかないまでもイタリア・ルネサンスのスタイルとブルクマイアーの根底にあるドイツのスタイルがブレンドされている。1508年頃からは神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世のために木版画制作に多くの時間を費やし、それは皇帝の亡くなる1519年まで続いた。『マクシミリアン1世の凱旋』と題された135の木版画のほぼ半分は人物を画面いっぱいに描いていて、高い評価を受けた。他には『Weißkunig』と『Theuerdank』の挿絵のほとんどを手掛けた。
ブルクマイアーはキアロスクーロ版画の発明者としても重要な人物である。1508年に最初に1つのトーンブロック(色版)を使った[2]。『"死"に驚く恋人たち』(1510年)では3つの版木を用いた[3]。ラインブロック(線描画の主版)では満足な仕上がりにならなかったので、最初に色のみで印刷するように設計した。ハンス・バルドゥングやルーカス・クラナッハによる以降のキアロスクーロ版画ではラインブロックも使われるようになった[4]。
ブルクマイアーは成功した画家で、アウグスブルク市民や皇帝の宮廷のメンバーのために宗教画も制作した。それらの多くはミュンヘンやウィーンなどのギャラリーにある。肖像画は宗教画より現代的な感覚のものである。
ブルクマイアーは1531年にアウクスブルクで亡くなった。
脚注
- ^ Hans Burckmair(カトリック百科事典)
- ^ Emperor Maximilian on Horseback
- ^ Lovers Surprised by Death
- ^ The Renaissance Print, David Landau & Peter Parshall, Yale, 1996, ISBN 0300068832