「ルイ5世ジョゼフ (コンデ公)」の版間の差分
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'''ルイ5世ジョゼフ・ド・ブルボン=コンデ'''('''Louis V Joseph de Bourbon-Condé'''、[[1736年]][[8月9日]] - [[1818年]][[5月13日]])は、[[フランス王国|フランス]]の貴族。 |
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[[ブルボン公ルイ・アンリ]]とヘッセン=ローテンブルク家のカロリーヌの一人息子として生まれる。[[軍人]]として[[七年戦争]](1756年-1763年)に参加し、[[自由主義]]貴族となる。1789年に[[フランス革命]]が起こると、息子のブルボン公ルイ・アンリ(のちのコンデ公[[ルイ6世 (コンデ公)|ルイ6世]])、王族のコンティ公と共にドイツの[[コブレンツ]]に[[亡命]]。諸外国を転々とし、1814年の[[王政復古]]の頃にイギリスから帰国した。1818年、[[パリ]]で[[自殺]]。 |
[[ブルボン公ルイ・アンリ]]とヘッセン=ローテンブルク家のカロリーヌの一人息子として生まれる。[[軍人]]として[[七年戦争]](1756年-1763年)に参加し、[[自由主義]]貴族となる。1789年に[[フランス革命]]が起こると、息子のブルボン公ルイ・アンリ(のちのコンデ公[[ルイ6世 (コンデ公)|ルイ6世]])、王族のコンティ公と共にドイツの[[コブレンツ]]に[[亡命]]。諸外国を転々とし、1814年の[[王政復古]]の頃にイギリスから帰国した。1818年、[[パリ]]で[[自殺]]。 |
2008年6月14日 (土) 12:54時点における版
ルイ5世ジョゼフ・ド・ブルボン=コンデ(Louis V Joseph de Bourbon-Condé、1736年8月9日 - 1818年5月13日)は、フランスの貴族。
ブルボン公ルイ・アンリとヘッセン=ローテンブルク家のカロリーヌの一人息子として生まれる。軍人として七年戦争(1756年-1763年)に参加し、自由主義貴族となる。1789年にフランス革命が起こると、息子のブルボン公ルイ・アンリ(のちのコンデ公ルイ6世)、王族のコンティ公と共にドイツのコブレンツに亡命。諸外国を転々とし、1814年の王政復古の頃にイギリスから帰国した。1818年、パリで自殺。
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