「ウィーン体制」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
15行目: 15行目:
*[[ジェノヴァ共和国|ジェノヴァ]]:[[サルデーニャ王国]]領となる。 
*[[ジェノヴァ共和国|ジェノヴァ]]:[[サルデーニャ王国]]領となる。 
*[[スイス]]:5州を加え[[永世中立国]]として承認された。
*[[スイス]]:5州を加え[[永世中立国]]として承認された。

[[Category:ヨーロッパ史|うぃーんたいせい]]

2005年5月7日 (土) 06:45時点における版

ウィーン体制は、ウィーン会議以後のヨーロッパ世界の体制。クリミア戦争によって完全に崩壊するまで続く国際的反動体制フランス外相タレーラン・ペリゴール正統主義を基に、フランス革命以前の状態を復活させ、大国の勢力均衡を図った。神聖同盟四国同盟を中心に、自由主義国民主義運動を抑圧。 一方で、その基本理念はヨーロッパの協調にあり、国家間の諸問題の解決に外交努力を惜しまなかったことから歴史的にみても比較的長期の安定を欧州にもたらしていた。 しかし、産業革命による市民生活の発展や大国間の利害関係の複雑化などから次第に枠組みが揺らぎ始め、1848年革命後に大国の被支配地域を中心にナショナリズムが先鋭化すると、体制を支えていた同盟国同士が自国の利益のみを追求するようになり、結局クリミア戦争を回避することができず崩壊した。

ウィーン議定書における領土変更