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'''秀峰尤奇'''(しゅうほうゆうき ? - [[1372年]][[8月]])は、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に活躍した[[東福寺]]栗棘派の[[禅僧]]である。[[越中国]]婦負郡金屋村(富山市寺町)に崇聖寺を開いた竺山至源(東福寺4世白雲慧暁の法嗣)に学び、同国[[興国寺 (富山市)|興国寺]]の開山に請じられた。のち、京都で別業(別宅)として[[安聖寺]]を開く。[[建徳]]3年8月示寂。墓所は[[富山市]]布市の[[興国寺]]開山塔。 |
'''秀峰尤奇'''(しゅうほうゆうき ? - [[1372年]][[8月]])は、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]に活躍した[[東福寺]]栗棘派の[[禅僧]]である。[[越中国]]婦負郡金屋村(富山市寺町)に崇聖寺を開いた竺山至源([[東福寺]]4世[[白雲慧暁]]の法嗣)に学び、同国[[興国寺 (富山市)|興国寺]]の開山に請じられた。のち、京都で別業(別宅)として[[安聖寺]]を開く。[[建徳]]3年8月示寂。墓所は[[富山市]]布市の[[興国寺]]開山塔。 |
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