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'''シコ・ブアルキ'''('''Chico Buarque'''、[[1944年]] [[6月19日]] - , [[リオデジャネイロ市|リオ・デ・ジャネイロ]]生まれ)は[[ブラジル]]の[[詩人]]、[[歌手]]、[[音楽家]]、[[作曲家]]、[[小説家]]である。彼は、ブラジルの社会、経済、文化的な状景を批評する彼の音楽作品によって有名となった。[[カエターノ・ヴェローゾ]]と並んで、ポスト・ボサノバ世代の[[MPB]]を支えた名ソングライターとして名を馳せた。彼の最新の著作、'''ブダペスト'''は、批評家たちの賞賛を受け、プレミオ・ジャブチ(Prêmio Jabuti)というブラジルの文学賞を受賞した。本名は、フランシスコ・ブアルキ・ヂ・オランダ(Francisco Buarque de Hollanda)。なお、[[ジョアン・ジルベルト]]の元妻[[ミウーシャ]]は、彼の姉である。
'''シコ・ブアルキ'''('''Chico Buarque'''、[[1944年]] [[6月19日]] - , [[リオデジャネイロ市|リオ・デ・ジャネイロ]]生まれ)は[[ブラジル]]の[[詩人]]、[[歌手]]、[[音楽家]]、[[作曲家]]、[[小説家]]である。彼は、ブラジルの社会、経済、文化的な状景を批評する彼の音楽作品によって有名となった。[[カエターノ・ヴェローゾ]]と並んで、ポスト・ボサノバ世代の[[ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ|MPB]]を支えた名ソングライターとして名を馳せた。彼の最新の著作、'''ブダペスト'''は、批評家たちの賞賛を受け、プレミオ・ジャブチ(Prêmio Jabuti)というブラジルの文学賞を受賞した。本名は、フランシスコ・ブアルキ・ヂ・オランダ(Francisco Buarque de Hollanda)。なお、[[ジョアン・ジルベルト]]の元妻[[ミウーシャ]]は、彼の姉である。


シコは、知的で特権階級の家庭で育った。彼の父親、[[セルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダ]] (Sergio Buarque de Hollanda)は有名な[[歴史家]]、[[社会学者]]で、彼のおじで辞書編集者であるアウレリオ・ブアルキ・ヂ・オランダの「アウレリオ」という名は、ブラジルで最も著名な[[辞書]]の名である。まだ小さいときから音楽と執筆に興味のある勉強熱心な子供だったが、シコは[[ボサノバ]]、特に[[ジョアン・ジルベルト]]の作品から強烈な影響を受けた。
シコは、知的で特権階級の家庭で育った。彼の父親、[[セルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダ]] (Sergio Buarque de Hollanda)は有名な[[歴史家]]、[[社会学者]]で、彼のおじで辞書編集者であるアウレリオ・ブアルキ・ヂ・オランダの「アウレリオ」という名は、ブラジルで最も著名な[[辞書]]の名である。まだ小さいときから音楽と執筆に興味のある勉強熱心な子供だったが、シコは[[ボサノバ]]、特に[[ジョアン・ジルベルト]]の作品から強烈な影響を受けた。

2008年1月27日 (日) 14:32時点における版

シコ・ブアルキ(Chico Buarque1944年 6月19日 - , リオ・デ・ジャネイロ生まれ)はブラジル詩人歌手音楽家作曲家小説家である。彼は、ブラジルの社会、経済、文化的な状景を批評する彼の音楽作品によって有名となった。カエターノ・ヴェローゾと並んで、ポスト・ボサノバ世代のMPBを支えた名ソングライターとして名を馳せた。彼の最新の著作、ブダペストは、批評家たちの賞賛を受け、プレミオ・ジャブチ(Prêmio Jabuti)というブラジルの文学賞を受賞した。本名は、フランシスコ・ブアルキ・ヂ・オランダ(Francisco Buarque de Hollanda)。なお、ジョアン・ジルベルトの元妻ミウーシャは、彼の姉である。

シコは、知的で特権階級の家庭で育った。彼の父親、セルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダ (Sergio Buarque de Hollanda)は有名な歴史家社会学者で、彼のおじで辞書編集者であるアウレリオ・ブアルキ・ヂ・オランダの「アウレリオ」という名は、ブラジルで最も著名な辞書の名である。まだ小さいときから音楽と執筆に興味のある勉強熱心な子供だったが、シコはボサノバ、特にジョアン・ジルベルトの作品から強烈な影響を受けた。

シコは1964年に音楽家、そして作曲家としてデビューし、音楽祭やテレビのバラエティー番組などで急速に名を上げていく。彼自身の名前がついたデビューアルバムは、彼の将来の活躍を予示するかのような作品で、独創的な言葉遣いと、郷愁的な悲しみ(いわゆる、サウダーヂ)を根底とする、キャッチーなサンバであった。

シコは、ブラジルの軍事政権に反対しての政治的な活動によって、1968年に逮捕され、最終的には自らの意思で1969年イタリアに亡命する。その後1970年にブラジルに戻り、彼の知名度と作曲の能力を生かして、独裁政権へのプロテスト・ソングを制作しはじめる。このときの、若干ベールをかぶせたプロテスト・シングル "Apesar de Você" (Despite of you)は、どういうわけか軍の検閲の目をすり抜け、民主主義運動のアンセムとなった。10万枚が売れた後、結局弾圧の対象となり、すべて店頭から姿を消した。検閲にもかかわらず、「オルリーのサンバ」(Samba de Orly,1970年)や 「Acorda Amor」(1974年)、「Vai Passar」のような曲は、シコが反抗を続けていることを露骨に示すような作品だった。

1970年代から1980年代の間に、シコは、独裁政権に対抗するプロテスト作品をさらに制作するため、映画制作者、劇作家、音楽家たちとのコラボレーションを行った。 また、作家としても数冊の小説を発表するなど、音楽家であることを越え、ブラジルを代表する知識人の一人であるといってよい。

作詞家・作曲家としての代表曲

  • ヴィニシウス・ヂ・モライストッキーニョとの共作
    • オルリーのサンバ (Samba de Orly)
  • アントニオ・カルロス・ジョビンとの共作
    • 黄金の歳月 (Anos Dourados / Looks Like December)
    • 白黒のポートレイト (Retrato Em Branco E Preto)
  • カロリーナ (Carolina)
  • サンバと恋 (Samba E Amor)
  • 映画「ドナ・フロールと二人の夫」のための作品
    • いったい何だろう (O Que Sera)
  • 「オペラ・ド・マランドロ」(ブレヒト三文オペラの舞台を大戦前夜のブラジルに移して製作。85年に映画化され、邦題は「三文オペラ」として公開された)のための作品
    • 私の愛しい人 (O Meu Amor)
    • 愛のかけら (O Pedaco de mim)
    • コパカバーナの女たち (Muchachas de Copacabana)
    • ジェニと飛行船 (Geni y Zepelin)
    • テレジーニャ (Terezinha)

関連項目