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2008年1月20日 (日) 00:46時点における版

明法(みょうほう、元暦元年(1184年) - 建長3年10月13日1251年11月27日))は、鎌倉時代浄土真宗親鸞直弟二十四輩の一人。元の名を豊前僧都とも、弁円とも言う。

修験道を学び山伏となり、常陸で布教活動をしていた。同じ時期に常陸にいた親鸞をねたみ、殺害を企てるが失敗。稲田の草庵に押し掛けたところ、親鸞に対面するやいなや懺悔して弟子になったという。

末灯鈔には、親鸞が明法の浄土往生を喜んだことが記されている。