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'''土井 利延'''('''どい としのぶ''')は、[[肥前国|肥前]][[唐津藩]]の第3代[[藩主]]。土井家宗家7代。
'''土井 利延'''('''どい としのぶ''')は、[[肥前国|肥前]][[唐津藩]]の第3代[[藩主]]。土井家宗家7代。


享保8年(1723年)、分家で5000石を領した大身[[旗本]]・土井利清の男として生まれる。唐津藩の第2代藩主である土井利実の長男であった[[土井利武]]が享保18年([[1733年]])に早世したため、利実の[[養子]]として迎えられる。[[元文]]元年([[1736年]])、利実の死去により[[家督]]を継いで第3代藩主となる。
享保8年(1723年)、分家で5000石を領した大身[[旗本]]・土井利清の男として生まれる。唐津藩の第2代藩主である土井利実の長男であった[[土井利武]]が享保18年([[1733年]])に早世したため、利実の[[養子]]として迎えられる。[[元文]]元年([[1736年]])、利実の死去により[[家督]]を継いで第3代藩主となる。


元文2年([[1737年]])12月、従五位下・大炊頭に叙位・任官する。しかし幼少のため、家老の[[土井内蔵]]が政務を代行した。延享元年(1744年)に死去。享年22。
元文2年([[1737年]])12月、従五位下・大炊頭に叙位・任官する。しかし幼少のため、家老の[[土井内蔵]]が政務を代行した。延享元年(1744年)に死去。享年22。

2007年10月28日 (日) 13:42時点における版

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時代 江戸時代中期
生誕 享保8年(1723年
死没 延享元年7月17日1744年8月24日
別名 弁之助(幼名)
戒名 諦了院殿前大倉令真誉寂照堪然大居士
墓所 佐賀県唐津市の神田岡口
佐賀県唐津市西十人町の来迎寺
官位 従五位下、大炊頭
肥前唐津藩主
氏族 土井氏
父母 父:土井利清、母:土井利益の娘
養父:土井利実
兄弟 土井利延土井利里
なし
養子:土井利里

土井 利延どい としのぶ)は、肥前唐津藩の第3代藩主。土井家宗家7代。

享保8年(1723年)、分家で5000石を領した大身旗本・土井利清の長男として生まれる。唐津藩の第2代藩主である土井利実の長男であった土井利武が享保18年(1733年)に早世したため、利実の養子として迎えられる。元文元年(1736年)、利実の死去により家督を継いで第3代藩主となる。

元文2年(1737年)12月、従五位下・大炊頭に叙位・任官する。しかし幼少のため、家老の土井内蔵が政務を代行した。延享元年(1744年)に死去。享年22。

後を弟で養子の土井利里が継いだ。

先代
土井利実
土井氏(唐津藩3代)藩主
1736年 - 1744年
次代
土井利里