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'''レディ・ジェーン・グレイ''' ('''Lady Jane Grey''', [[1537年]][[10月12日]]? &ndash; [[1554年]][[2月12日]]) は[[イングランド]]の[[テューダー朝]]第4代の女王である。在位が非常に短い ([[1553年]][[7月10日]]<ref><small>ただし7月6日説もある。エドワード6世の崩御は7月6日だが、7月10日まで秘匿されたため、王位継承がどの時点で行われたか確定できないため。</small></ref> &ndash; [[7月19日|19日]]) ため歴代君主に数えない学者もいるが、英国王室はジェーンを正統な君主と認めている。父は王族ではない[[サフォーク公]]ヘンリー・グレイだが、母方の祖母が[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の妹[[メアリー・テューダー (フランス王妃)|メアリー・テューダー]]であったため、これが王位継承権の根拠となった。



== 来歴 ==
== 来歴 ==

ジェーンの血統に着目したウォリック伯(のちの[[ノーサンバーランド公爵|ノーサンバランド公]][[ジョン・ダドリー]])は、政敵[[サマセット公]][[エドワード・シーモア]]([[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]の母方の伯父)に反逆の汚名を着せ処刑した後、四男ギルフォードとジェーンを結婚させた。そうして、王位継承のライバルとなる[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の子[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー]]が[[カトリック教会|カトリック]]であることを利用し、熱烈な[[プロテスタント]]のエドワード6世を説き伏せ、病床の王からジェーン・グレイへの王位継承を指示する勅令を得た。ノーサンバランド公の最終目的は、ジェーンとギルフォードの息子(つまりノーサンバランド公の孫)を王位につけることにあったという。
ジェーンの血統に着目したウォリック伯(のちの[[ノーサンバーランド公爵|ノーサンバランド公]][[ジョン・ダドリー]])は、政敵[[サマセット公]][[エドワード・シーモア]]([[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]の母方の伯父)に反逆の汚名を着せ処刑した後、四男ギルフォードとジェーンを結婚させた。そうして、王位継承のライバルとなる[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の子[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー]]が[[カトリック教会|カトリック]]であることを利用し、熱烈な[[プロテスタント]]のエドワード6世を説き伏せ、病床の王からジェーン・グレイへの王位継承を指示する勅令を得た。ノーサンバランド公の最終目的は、ジェーンとギルフォードの息子(つまりノーサンバランド公の孫)を王位につけることにあったという。


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== 参考文献 ==
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* [http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/victims/jane/execution.htm The Execution of Lady Jane Grey] 『レディ・ジェーン・グレイの処刑』(デラローシュ) [[ロンドン]]、[[ナショナル・ギャラリー]]所蔵
* [http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/victims/jane/execution.htm The Execution of Lady Jane Grey] 『レディ・ジェーン・グレイの処刑』(デラローシュ) [[ロンドン]]、[[ナショナル・ギャラリー]]所蔵


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[[Category:イングランドの君主|しえん くれい]]
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2007年5月20日 (日) 17:32時点における版

ファイル:Lady Jane Grey (engraving by van de Passe) commons.jpg
レディ・ジェーン・グレイ

レディ・ジェーン・グレイLady Jane Grey, 1537年10月12日? – 1554年2月12日)はイングランドテューダー朝第4代の女王である。在位が非常に短いため(1553年7月10日[1]19日)、歴代君主に数えない学者もいるが、英国王室はジェーンを正統な君主と認めている。父は王族ではないサフォーク公ヘンリー・グレイだが、母方の祖母がヘンリー8世の妹メアリー・テューダーであったため、これが王位継承権の根拠となった。

来歴

ジェーンの血統に着目したウォリック伯(のちのノーサンバランド公ジョン・ダドリー)は、政敵サマセット公エドワード・シーモアエドワード6世の母方の伯父)に反逆の汚名を着せ処刑した後、四男ギルフォードとジェーンを結婚させた。そうして、王位継承のライバルとなるヘンリー8世の子メアリーカトリックであることを利用し、熱烈なプロテスタントのエドワード6世を説き伏せ、病床の王からジェーン・グレイへの王位継承を指示する勅令を得た。ノーサンバランド公の最終目的は、ジェーンとギルフォードの息子(つまりノーサンバランド公の孫)を王位につけることにあったという。

エドワード6世が崩御すると、ノーサンバランド公はジェーンの即位を宣言したものの、陰謀を察知したノーフォーク公がメアリーをかくまっていたために身柄を拘束できなかった。そのためメアリー派の反攻を許すこととなり、1553年7月19日サフォークでメアリーが即位を宣言、ジェーンと夫ギルフォードらが逮捕された。続けてギルフォードの兄弟、ジョン、アンブローズ、ロバート(エリザベス女王の寵臣となるロバート・ダドリー)らダドリー一族も逮捕された。

その後、ジェーン・グレイはロンドン塔幽閉を経て、1554年2月12日、夫ギルフォードとともに斬首された。王位に就いたメアリーは当初、ジェーンの処刑に二の足を踏んでいたとされるが、スペインカルロス1世と王太子フェリペの婚約解消の脅しに屈し、処刑の命令を下したという。なお、この1554年2月というのは、ジェーンを王位に就けることを要求したワイアットの乱の起きた月でもあり、その影響もあると思われる。

のちに妹のメアリとキャサリンがエリザベス1世の後継者候補となった。

  1. ^ ただし7月6日説もある。エドワード6世の崩御は7月6日だが、7月10日まで秘匿されたため、王位継承がどの時点で行われたか確定できないため。

参考文献

  • 小西章子『華麗なる二人の女王の戦い』朝日新聞社、1988年 ISBN 4022605308
  • Fraser,Antonia The six wives of Henry VIII,London:Phoenix,2002(初版は別の出版社で1992年),ISBN 1842126334(アントーニア・フレイザー『ヘンリー八世と六人の王妃』という翻訳あり)

小説

  • カーリン・ブラッドフォード「九日間の女王さま」
  • 柳広司「我が輩はシャーロック・ホームズである」小学館、2005年 ISBN 409387624X
  • Gregory,Philippa The Queen's fool,London:Herpercollins,2003,ISBN 0007147295
  • Meyer,Carolyn Beware, Princess Elizabeth,Frolida:Gulliver books,2001, ISBN 0152045562
  • Miles,Rosalind I, Elizabeth,New York:Three river press,1994,ISBN 0609809105
  • Rinaldi,Ann Nine days a Queen,New York:Herpercollins,2005,ISBN 0060549238
  • Weir,Alison Inocent Traitor A novel of Lady Jane Grey

外部リンク

先代
エドワード6世
イングランド女王
アイルランド女王
1553年
次代
メアリー1世