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'''アンナ・アンゲリナ'''(Anna Angelina,生没年不詳)は、[[ビザンティン帝国]]皇帝[[アレクシオス3世アンゲロス]]と皇后[[エウフロシネ・ドゥーカイナ・カマテラ]]の娘。 |
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最初はイサキオス・コムネノス(皇帝[[マヌエル1世コムネノス]]の甥の子)と結婚し、1女[[テオドラ・アンゲリナ]]をもうけた。結婚後まもなく1195年に、父アレクシオスは皇帝となり、夫イサキオスはヴラツェ・[[ブルガリア]]反乱の鎮圧に派遣された。イサキオスは捕らえられ、ブルガリア人とヴラツェ一派の間で身代金をぶらさげた捕虜となり、鎖につながれて死んだ。 |
最初はイサキオス・コムネノス(皇帝[[マヌエル1世コムネノス]]の甥の子)と結婚し、1女[[テオドラ・アンゲリナ]]をもうけた。結婚後まもなく1195年に、父アレクシオスは皇帝となり、夫イサキオスはヴラツェ・[[ブルガリア]]反乱の鎮圧に派遣された。イサキオスは捕らえられ、ブルガリア人とヴラツェ一派の間で身代金をぶらさげた捕虜となり、鎖につながれて死んだ。 |
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2007年4月6日 (金) 13:56時点における版
アンナ・アンゲリナ(Anna Angelina,生没年不詳)は、ビザンティン帝国皇帝アレクシオス3世アンゲロスと皇后エウフロシネ・ドゥーカイナ・カマテラの娘。
最初はイサキオス・コムネノス(皇帝マヌエル1世コムネノスの甥の子)と結婚し、1女テオドラ・アンゲリナをもうけた。結婚後まもなく1195年に、父アレクシオスは皇帝となり、夫イサキオスはヴラツェ・ブルガリア反乱の鎮圧に派遣された。イサキオスは捕らえられ、ブルガリア人とヴラツェ一派の間で身代金をぶらさげた捕虜となり、鎖につながれて死んだ。
2度目の夫はニカエア帝国皇帝テオドロス1世ラスカリスで、1200年初めに、アンナの妹エイレーネーとアレクシオス・パレオロゴスの結婚式も同時に行われた。
アンナとテオドロスには2男3女が生まれた。
- イレーネー・ラスカリナ 最初の夫は将軍アンドロニコス・パレオロゴス。二度目の夫はニカエア皇帝ヨハネス3世ヴァタツェス
- マリア・ラスカリナ ハンガリー王ベーラ4世妃
- エウドキア・ラスカリナ
- ニコラス
- ヨハネス