「かんかんのう」の版間の差分

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江戸から明治にかけて、「かんかんのう」を唱っていた庶民の大半は、この元歌が中国伝来の歌であることは認識していたが、歌詞の意味は把握しておらず、一種のナンセンス・ソングとして、意味不明ながら語呂の響きを楽しんだのである。
江戸から明治にかけて、「かんかんのう」を唱っていた庶民の大半は、この元歌が中国伝来の歌であることは認識していたが、歌詞の意味は把握しておらず、一種のナンセンス・ソングとして、意味不明ながら語呂の響きを楽しんだのである。



== その他 ==

近年まで、刑務所では、受刑者の凶器の持参を防ぐため、受刑者が作業所に出入りするときは、刑務官から離れた所定の場所で全裸になり、手や足を片方づつあげて、舌や、尻までくまなく刑務官に見せねばならなかった。この屈辱的な身体検査を、俗に「[[カンカン踊り]]」と称した。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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*清楽「[[九連環]]」
*清楽「[[九連環]]」

*[[カンカン踊り]]





2007年3月29日 (木) 02:41時点における版

「かんかんのう」は、江戸時代から明治にかけて民衆のあいだで唱われていた俗謡。元歌は清楽の「九連環」だが、歌詞もメロディーも元歌とはかなり変わっている。「らくだ (落語)」にも出てくる。

歴史

 江戸時代の文政年間に、長崎から始まった「唐人踊(とうじんおどり)」別名「看々踊(かんかんおどり)」が、江戸や大坂で大流行した。これは唐人ふうの扮装をした踊り手が、清楽の「九連環」の替え歌と、胡弓や蛇皮線などの伴奏にあわせて踊る、という興行的な出し物だった。庶民も盛んにまねをしたので、流行の加熱ぶりに、禁令が出たほどだった。その後も庶民のあいだでは、「看々踊」や、その歌である「かんかんのう」が歌い継がれた。  その歌詞は、バージョンによって微妙に異なるが、以下のようなものである。

 かんかんのう きうれんす

 きゅうはきゅうれんす

 さんしょならえ さあいほう

 にいかんさんいんぴんたい

 やめあんろ

 めんこんふほうて

 しいかんさん

 もえもんとわえ

 ぴいほう ぴいほう

「九連環」の歌詞。明治十年刊『月琴楽譜』より

上記の元歌となった「九連環」の一番の歌詞は、以下のとおりである。

 カン カン エエ スウ  テ キウ レン クワン

 キウ ヤ キウ レン クワン

 シャン シュ ナア ライ キャイ ポ カイ

 ナア バア タウ ルウ カ

 カ ポ ドワン リャウ エエ エエ ユウ

「かんかんのう」は「カンカンヌウ(看看奴)」すなわち「奴(女性の一人称。わたし)をちょっと見て」、「きうれんす」は「キウレンス(九連子)」すなわち「キウレンクワン(九連環)」(チャイニーズリング)、「きゅうはきゅうれんす」は「キュウヤキュウレンクワン(九呀九連環)」、「さんしょならえ」は「シャンシュナアライ(双手拿来)」すなわち「両手で持って来る」、を日本語風に崩したものである。

江戸から明治にかけて、「かんかんのう」を唱っていた庶民の大半は、この元歌が中国伝来の歌であることは認識していたが、歌詞の意味は把握しておらず、一種のナンセンス・ソングとして、意味不明ながら語呂の響きを楽しんだのである。


関連項目


外部リンク