「イザベラ・オブ・ヴァロワ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cprobot (会話 | 投稿記録)
m cprobot: subst Template:生没年
編集の要約なし
5行目: 5行目:
1401年にフランスへ帰国を許されるが、未亡人が故国へ戻る際に返還されるものである持参金は返還されなかった。
1401年にフランスへ帰国を許されるが、未亡人が故国へ戻る際に返還されるものである持参金は返還されなかった。


1406年、[[オルレアン公]]シャルル(フランス王[[ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世]]の父)と再婚したが、1409年、出産のときに死亡した。
1406年、[[シャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|オルレアン公シャルル]](フランス王[[ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世]]の父)と再婚したが、1409年、出産のときに死亡した。


[[Category:イングランドの王妃|いさへら]]
[[Category:イングランドの王妃|いさへら]]

2007年3月12日 (月) 14:12時点における版

イザベラ・オブ・ヴァロワ(Isabella of Valois, 1389年11月9日 - 1409年9月13日)はイングランドリチャード2世の王妃。フランスシャルル6世と王妃イザボー・ド・バヴィエールの娘。イングランド王ヘンリー5世の妃キャサリン・オブ・ヴァロワ、フランス王シャルル7世の姉。

1397年、7歳でリチャード2世の2番目の王妃となる。1399年、ヘンリー・ボリンブロク(のちのヘンリー4世)がリチャードをロンドン塔に幽閉されると、彼女はロンドン北西のソニングに幽閉され、夫に会うことを禁じられ、翌年の夫の死も知らされなかった。

1401年にフランスへ帰国を許されるが、未亡人が故国へ戻る際に返還されるものである持参金は返還されなかった。

1406年、オルレアン公シャルル(フランス王ルイ12世の父)と再婚したが、1409年、出産のときに死亡した。