牛場清次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
牛場清次郎

牛場 清次郎(うしば せいじろう、1880年明治13年)3月5日[1] - 1938年昭和13年)11月21日[2])は、日本の衆議院議員立憲民政党)。ジャーナリスト

経歴[編集]

三重県度会郡浜郷村(現在の伊勢市)出身[2]1901年(明治34年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)邦語政治科を卒業[3]。『神戸又新日報』記者、『柏崎日報』主筆を経て、雑誌『実業倶楽部』を発刊・経営した[2]

三重県会議員を務めた後、1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第五十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1930年、15頁。
  2. ^ a b c 『衆議院議員略歴』
  3. ^ 『人事興信録』

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。