浮石寺 (栄州市)
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浮石寺 | |
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所在地 | 慶尚北道栄州市浮石面北枝1里148 |
位置 | 北緯36度59分55.871秒 東経128度41分14.989秒 / 北緯36.99885306度 東経128.68749694度座標: 北緯36度59分55.871秒 東経128度41分14.989秒 / 北緯36.99885306度 東経128.68749694度 |
山号 | 太白山、鳳凰山 |
宗派 | 曹渓宗( 海東華厳宗⇒教宗⇒曹渓宗) |
寺格 | 曹渓宗の第7教区本寺である修徳寺の末寺 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 676年(文武王16年) |
開基 | 義湘 |
文化財 |
浮石寺無量寿殿前石燈(国宝第17号) 無量寿殿(国宝第18号) 祖師堂(国宝第19号) 塑造如來坐像(国宝45号) 祖師堂壁画(国宝46号) |
浮石寺 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 부석사 |
漢字: | 浮石寺 |
発音: | プソクサ |
日本語読み: | ふせきじ |
浮石寺(ふせきじ、プソクサ、ブソッサ)は、大韓民国慶尚北道栄州市にある仏教寺院である。曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)の第7教区に属し、修徳寺の末寺にあたる。
韓国10大名刹の中の一つで、無量寿殿(大韓民国指定国宝第18号)は、韓国最古の木造建物の一つとされる[1]。
歴史
[編集]671年(文武王11年)に留学先の唐から新羅にもどり、海東華厳宗の創始者になった義湘が、王命に従い、676年(文武王16年)に浮石寺を建立した[2]。高麗時代の1016年(顕宗7年)、円融によって無量壽殿が再建されたが後に焼失。現在の建物は1376年に再建されたもの(後述)。
李氏朝鮮太宗の時代の1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88の寺院の中に浮石寺の名前はない。世宗の時代の1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際、存続を許された36の寺院の中にも浮石寺の名前はない。(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。少なくとも15世紀初頭、浮石寺は廃寺になっていた。
文化財
[編集]- 無量寿殿(国宝第18号)
- 修徳寺の大雄殿(国宝第49号)、鳳停寺の極楽殿(国宝第15号)と共に韓国最古の木造建築の一つとされている。扁額は恭愍王(在位1351年 - 1374年)の親筆である[2]。1916年の解体補修のさい、1358年(恭愍王7年)に盗賊によって建物が燃やされ、1376年(禑王2年)に再建したと書かれた墨書銘が発見された。
- 浮石寺無量寿殿前石燈(国宝第17号)
- 祖師堂(国宝第19号)
- 塑造如來坐像(国宝45号)
- 祖師堂壁画(国宝46号)
脚注
[編集]- ^ “浮石寺(華厳宗)”. 韓国観光公社. 2013年3月27日閲覧。
- ^ a b “韓国のお寺(古刹名刹)浮石寺、無量寿殿”. 慶州旅行ガイド. 2013年3月27日閲覧。