浅羽金三郎
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生誕 |
1861年11月20日 日本・静岡県 |
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死没 | 1904年9月18日(42歳没) |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1874年 - 1904年 |
最終階級 | 海軍大佐 |
浅羽 金三郎(あさば きんざぶろう、1861年11月20日〈文久元年10月18日〉[1] - 1904年〈明治37年〉9月18日)は、静岡県出身の大日本帝国海軍軍人。
経歴
[編集]浅羽幸勝の次男で、1874年7月に海軍兵学校幼年科へ入学した。1883年10月に海軍兵学校(10期)を卒業後、海軍少尉試補を命ぜられ、その後に累進して海軍中佐まで昇進する。1904年に日露戦争が勃発すると、「平遠」の艦長として第二軍の上陸援護、旅順港閉塞作戦などの任務に当たる。同年9月18日に特別任務を帯びて出勤中、双島湾外で「平遠」が触雷・沈没し、戦死した。1911年、戦功によって海軍大佐に昇進し、功三級に叙せられる。
栄典・授章・授賞
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1902年(明治35年)5月10日 - 明治三十三年従軍記章[4]
脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 東京経済雑誌社『日本人名辞書』1921年 - この記述には、パブリックドメインの本書の翻案を含む。