法運寺 (中野市)
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法運寺 | |
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所在地 | 長野県中野市中央2丁目1番6号 |
位置 | 北緯36度44分37.5秒 東経138度22分20.5秒 / 北緯36.743750度 東経138.372361度座標: 北緯36度44分37.5秒 東経138度22分20.5秒 / 北緯36.743750度 東経138.372361度 |
山号 | 小石山 |
院号 | 龍泉院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 1551年 |
開山 | 円蓮社光誉上人竜光大和尚 |
法人番号 | 2100005005404 |
法運寺(ほううんじ)は、長野県中野市中央にある浄土宗の寺院である。山号は小石山、院号は龍泉院。本山は京都の知恩院。
概要
[編集]室町時代末期の1551年(天文20年)に円蓮社光誉上人竜公大和尚(鎌倉の光明寺然与の弟子)が開山し、長沼城主・島津忠直が25石を寄進し、開基となる。
1870年(明治3年)中野騒動により、中野県庁が焼失、近隣にあった法運寺が仮庁舎として利用された。1979年(昭和54年)法運寺境内に中野騒動の殉難者を慰霊する為、聖観世音菩薩像が建立[1][2]。
本尊は竜公が鎌倉より供奉した阿弥陀如来で、左手には法然上人像や竜公像、右手には善導大師像などがある。
山門
[編集]法運寺山門は切妻、桟瓦葺き、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚単層門[1]。
本堂
[編集]本堂は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き、平入、桁行6間、正面1間唐破風向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ、唐破風懸魚には鳳凰、向拝欄間部には龍、木鼻には獅子の精緻な彫刻が施され、内部の内陣には本尊となる釈迦如来像が安置されている[1]。
歴史
[編集]- 1551年(天文20年) 円蓮社光誉上人竜公大和尚が中野市更科に開山。
- のち中野市中央に移し小石山竜泉院法運寺とする。
- 1578年(天正6年) 夜間瀬川の氾濫により寺流失。
- 1582年(天正11年) 本堂と庫裡を再建。
- 1600年(慶長5年) 末寺(小林山光念寺)を小田中に創立。
- 1684年(貞享) 梵鐘を鋳造。
- 1717年(享保2年) 本堂改築。
- 1830年(文政13年)から1843年(天保13年) お堂の修繕・仁王門改築・庭(竜泉庭)改築。
- 1934年(昭和9年)から 本堂・庫裡・仁王門・諸舎・塀・垣根の改築(二十八世正道和尚)。
- 1939年(昭和14年) 竜泉庭の改造着工[2]。
境内
[編集]- 本堂
- 庫裡
- 仁王門
- 鐘楼
- 教蔵
- 衆寮
- 県官大塚正徳の碑[2]
歴代
[編集]- 二十八世 - 正道和尚
- 二十九世 - 竹内興道[2]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 信濃の寺刊行会「法運寺」『信濃の寺』信濃の寺刊行会、1970年2月15日、80-83頁。
- 『信州の文化シリーズ 寺と神社』 信濃毎日新聞社、1981年
- 『探訪 信州の古寺 浄土教・日蓮宗』 郷土出版社、1996年