永田勘六
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永田 勘六(ながた かんろく[1]、1869年8月17日(明治2年7月10日)[2] - 1927年(昭和2年)3月9日[3])は、日本の資産家[4]、農民、埼玉県多額納税者[5][6][7][8]、埼玉県の大地主[9]。前名は平次郎[8]。族籍は埼玉県平民[7][8][9]。
人物
[編集]埼玉県、先代・永田勘六の長男[6][7][8]。1895年、家督相続と共に襲名して前名・平次郎を改めた[6]。農業を営み[5][6][7][8]、県下の大地主[9]であった。多額納税者として知られた[6]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[2]。住所は埼玉県南埼玉郡粕壁町[7][8](現春日部市)。
家族・親族
[編集]- 永田家
- 父・勘六[7][8] - 『帝国議会議員選挙者名鑑』によると勘六は商業を営み、直接国税総納額は「1030円19銭7厘」である[10]。
- 継母(1864年 - ?、埼玉、浅子卯八の二女)[6][7]
- 妻(1870年 - ?、埼玉、田中菊三郎の妹)[7][8]
- 長男・豊次郎(1891年 - ?、農業、埼玉県多額納税者)[11] - 1914年、明治大学法科を卒業[11][12]。1927年、家督を相続[11]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[13]。
- 二男[7]
- 妹[7][8]
- 弟[7][8]
- 庶子[6][7]
脚注
[編集]- ^ 『日本現今人名辞典』な23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月12日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』133頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月2日閲覧。
- ^ 「(死亡広告)父勘六儀」『朝日新聞』1927年3月11日、10面。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月2日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第17版』全国多額納税者 埼玉県之部(明治四十五年四月一日調)4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第7版』な112-113頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第6版』な90頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第4版』な74頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年3月2日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第3版』な144頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月25日閲覧。
- ^ 『帝国議会議員選挙者名鑑』24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月12日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第11版 下』ナ195頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月23日閲覧。
- ^ 『明治大学一覧 昭和10年』卒業生年度別50頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月23日閲覧。
- ^ 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 後藤本馬編『帝国議会議員選挙者名鑑』金松堂、1890年。
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 交詢社編『日本紳士録 第17版』交詢社、1912年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 明治大学事務局編『明治大学一覧 昭和10年』明治大学事務局、1935年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。