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永山忠好

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永山 忠好(ながやま ただよし、生没年不詳)は、戦国時代の武将。下野国の大名・宇都宮氏の家臣。道号は道損。

人物

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戦国大名下野宇都宮氏の18代当主・宇都宮忠綱の近臣として知られる。忠好の「」の一字は主君の忠綱から拝領したものである。

毎年佐八氏から宇都宮氏に届けられる大麻・土産を忠綱に披露したり、伊勢新宮の神領となった栗嶋郷の管理などを任されていた。佐八美濃守に宛てた書状も複数残されている。

大永年間(1521年-1528年)に忠綱の家中統制の強化に反対した家臣の芳賀氏芳賀高経塩谷氏笠間氏らが忠綱と対立することによって大永の内訌が勃発し、家中は不安定になる。猿山合戦での忠綱の敗北後、忠好は他国に亡命し道損と号した。

参考文献

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  • 江田郁夫 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第四巻 下野宇都宮氏』(戒光祥出版、2012年)ISBN 978-4-86403-043-4

関連項目

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